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英国 アンティーク :聖書、ヴィクトリアン シェイクスピア本、オイルランプ、時計、他


No.20238 ホースブラス 帽子の英国紳士
縦の長さ 7.7cm、横の長さ 6.5cm、最大厚み 5mm、重さ 53g、五千円

帽子のイギリス・ジェントルマン、やはりここはシャーロック・ホームズと見たいところ。

かなり年季が入っているようですが、ピカールで磨けば綺麗になりましょう。 

ただ、ここまでの色合いになるには年月を要しますので、このままの渋さを楽しむのもありかと思います。

ホースブラスは、もともとは実用品の馬具ですが、ヴィクトリアンの終り頃から、室内飾りとして収集されるようになりました。 

イギリスにはホースブラスの専門家がいて、ホースブラスだけを扱った書籍も出ています。

ホースブラスの歴史や由来を紐解くと、
designed to bring good luck or to ward off evil.
(グッドラックを招くため、あるいは邪悪なるものを寄せ付けない為に作られた。)
とのこと。

なかなかに、奥が深いものであるなあ、と感じます。

近所のパブでいくつか飾ってあるのを見ました、パブの装飾品としても一般的なようです。

ヴィクトリア時代から続くパブの暖炉です。
暖炉周りの上部に、ホースブラスが横並びに飾られているところ、ご注目ください。
ホースブラス 帽子の英国紳士イギリスのパブ、ホースブラスが飾られている。

No.20237 ホースブラス 雄鶏
縦の長さ 7.8cm、横の長さ 6.9cm、最大厚み 4mm、重さ 55g、五千円

近所のパブに「Fighting Cocks」という名前のパブがあります。 イギリスで最古のパブだそうで驚きました。 

ただし、イギリスにおける闘鶏は、ずいぶんと昔に禁止になっています。 動物愛護のお国柄は、その歴史も長いというところ。

ホースブラスは、もともとは実用品の馬具ですが、ヴィクトリアンの終り頃から、室内飾りとして収集されるようになりました。 

イギリスにはホースブラスの専門家がいて、ホースブラスだけを扱った書籍も出ています。

ホースブラスの歴史や由来を紐解くと、
designed to bring good luck or to ward off evil.
(グッドラックを招くため、あるいは邪悪なるものを寄せ付けない為に作られた。)
とのこと。

なかなかに、奥が深いものであるなあ、と感じます。

近所のパブでいくつか飾ってあるのを見ました、パブの装飾品としても一般的なようです。

ヴィクトリア時代から続くパブの暖炉です。
暖炉周りの上部に、ホースブラスが横並びに飾られているところ、ご注目ください。
ホースブラス 雄鶏ホースブラス 雄鶏

No. 20235 ヴィクトリアン スターリングシルバー 蓋 with ガラスボトル
高さ 23.3cm、底面縦横 5.6cm*5.6cm、銀蓋の直径 3.4cm、1895年 バーミンガム アセイオフィス

今から百三十年近く前のヴィクトリアン後期に作られたスターリングシルバーの蓋です。

ブリティッシュ シルバー ホールマークが完備していることが、この品の優れた特徴になります。

銀製蓋の側面に刻印されたシルバー ホールマークは順に、メーカーズマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、1895年のデートレター、そしてバーミンガム アセイオフィスのアンカーマークです。

ガラスボトルはガラスに不均質感があって、いい感じです。

蓋はスクリュー式で捩じ込むようなタイプではなくて、言わば、上に乗っているだけの昔風な様式です。
ヴィクトリアン スターリングシルバー 蓋 with ガラスボトルヴィクトリアン スターリングシルバー 蓋 with ガラスボトル


No. 20212 ヴィクトリアン ピンチバック & シェル ボタン
直径 1.15cm、ヴィクトリアン終り頃の英国製、(3つあります。)

ボタンというよりは、ヴィクトリアン ジュエリーといった風情に惹かれました。

もともとは、20231ボタンと、20212ボタンはセットで求めました。

このヴィクトリアン アンティーク ボタンは、イギリスで作られて、今こうして日本へ渡ろうとしています。
しかし、思うに、このボタンの背景には、以下にあるような日本とイギリスの関係にまつわる話も、横たわっているのではないかと、私は想像しております。

シェル石油の貝殻マーク、由来は三浦海岸で拾った貝殻 https://www.instagram.com/p/BUKSq18DMVY/

世界最大級の石油会社シェル、社名とロゴマークに貝殻を採用しているのはなぜ?

創業者のイギリス人が明治維新直後の日本にやって来て、三浦海岸で見つけた綺麗な貝殻に商機を感じ、英国に運び込み貝殻細工の宝飾品で財をなしたことが背景です。

三浦海岸の貝殻を元手に巨大石油資本にまで上り詰めたシェル、もともとはロンドンにあった宝飾品&アンティーク店でした。

ちなみに今では帆立貝のロゴマーク、昔はもっとシンプルな貝殻でした。というわけで、シェルと日本とアンティーク、とっても深い関係があります。




No. 20233 ヴィクトリアン アイアンワーク アイロン台
縦の長さ 8.8cm、最大横幅 3.5cm、重さ 25g、高さ 0.9cm、鉄の厚み 2.5mm、ヴィクトリアン終り頃からエドワーディアン頃の英国製

デザインがよくて、それでいて渋いアンティークで気に入りました。 まったくもって小振りなアイロン台で、可愛らしいヴィクトリアン アンティークです。 部屋の飾りやペーパーウェイトによさそうです。 

写真のアンティークは実用品として作られたものですが、ハートのデザインなど装飾性が高いところは、ヴィクトリアン アイアンワークのペンダントヘッド に見られるようなブラックスミスの作品と根っこは同じ仲間たちと感じます。 

金属細工人の中でも鍛冶屋さんをスミスあるいはブラックスミスと言いますが、主要な交通手段が馬や馬車であったヴィクトリア時代においては、ブラックスミスはとても重要な職業で、どこの村にも鍛冶屋さんがありました。 カンタベリー大司教になったセント・ダンスタンは鍛冶屋さんでもあったという話がありますが、これなどは昔の時代にあっては鍛冶屋さん役割が重要であった証左とも言えましょう。

ハートは現代でも馴染み深いデザインですが、その歴史をたどりますと、英国におけるハートのモチーフはジョージアンの頃登場し、ヴィクトリア期に大流行した経緯があって現代に至っております。

ハートの中にはスパイラルが見られますし、上部にはCスクロールも見られますので、あるいはケルティック モチーフを反映しているのかも知れません、。

スクロールパターン(渦模様)の中でもアルファベットの「C」の形状をしたものをCスクロールと呼びます。 上部飾りにはCスクロールが背中合わせに並んでおります。 

ハートの中にダブルスパイラルが入ったデザインはケルティック シェブロン スパイラルと見るのが妥当という気もします。 渦巻き模様は「Growth(成長)」や「Energy(活力)」を象徴し、ケルティックアートのベーシックです。 さらに、ハートの中にダブルスパイラルが入ったケルティック シェブロン スパイラルは、遠い昔のケルトの人たちにとっては「Power(力)」の象徴であり、転じて「計画、実行、そして完成」を意味するシンボルでした。 ハートの形に見えますが、実はその由来は弓矢の先に付ける鏃(やじり)であり、そこからパワーの意味合いが生まれています。

じっくり見ていくと、いろいろな解釈が出てきますが、写真のアンティークを作った鍛冶屋さんの背景には、当時のデザインブックがあったかも知れませんし、扱ってみたいモチーフアイディアがあったろうと想像します。

英国アンティークにはスティール アンティークという専門分野があります。 イギリスには世界初の鉄橋で、ユネスコの世界遺産にもなっているアイアンブリッジという誰もが知っている観光地があって、英国人にとってスティール アンティークと言われてまず思い浮かぶのは、この産業革命の遺産であるアイアンブリッジであることが多いようです。 

鉄の道具の歴史はかなり古いわけですが、ジョージアンの時代の中頃に始まった産業革命の影響が大きく、次のヴィクトリア時代を通じて、鉄製品が芸術的な領域にまで高められていきました。 ですからイギリスにおけるスティール アンティークとは、この国の人たちにとって誇らしいアイアンブリッジや産業革命の延長線上にあって、ヴィクトリアンのノスタルジーを感じさせてくれるアンティーク分野であるのです。

昔の鍛冶屋さんの仕事はと言えば、馬の蹄鉄を取り扱う以外にも、例えば、以下にありますような、パブサイン看板のアイアンフレームを作るような仕事もあったでしょう。 スケッチしましたパブ看板のフレームは、なかなかに見事な作品でありました。
http://www.igirisumonya.com/antiquecenter.htm

ヴィクトリア時代にはどこの村にもあった鍛冶屋さんと書きましたが、二十一世紀の現代でも、イギリスにはまだ多くいらっしゃることを最近知りました。 私は担ぎタイプのゴルフバックを使っているのですが、スタンドの稼動部が壊れてしまいました。 気に入って使っていたので、出来れば直したい。 細いスティールパイプとそれにつながる鉄のL字金具を溶接すれば修理が可能です。 

電話帳で調べたら、街には何軒か鍛冶屋さんがあることが分かりました。 一番近くの鍛冶屋さんと連絡を取って、持ち込んだら、翌日には直しておくとのこと。 しかし出かけるので、修理したら庭先に置いておくから持っていってだって。。。 誰かに取られたりしないかなと心配でしたが、行ってみたらありました。 けっこうアバウトで英国風な職人さんでありました。

ヴィクトリアン アイアンワーク アイロン台


No. 20231 ヴィクトリアン ピンチバック & シェル ボタン with ゴールド装飾 カメオ
直径 1.35cm、ヴィクトリアン終り頃の英国製

もともとは、20231ボタンと、20212ボタンはセットで求めました。

ピンチバック フレームの中央にカメオが入っていて、女性の横顔のレリーフが彫り出してあります。 写真をご覧いただくと、髪の毛の部分にゴールド装飾が施してあるのが分かります。

ボタンというよりは、ヴィクトリアン ジュエリーといった風情に惹かれました。

このヴィクトリアン アンティーク ボタンは、イギリスで作られて、今こうして日本へ渡ろうとしています。
しかし、思うに、このボタンの背景には、以下にあるような日本とイギリスの関係にまつわる話も、横たわっているのではないかと、私は想像しております。

シェル石油の貝殻マーク、由来は三浦海岸で拾った貝殻 https://www.instagram.com/p/BUKSq18DMVY/

世界最大級の石油会社シェル、社名とロゴマークに貝殻を採用しているのはなぜ?

創業者のイギリス人が明治維新直後の日本にやって来て、三浦海岸で見つけた綺麗な貝殻に商機を感じ、英国に運び込み貝殻細工の宝飾品で財をなしたことが背景です。

三浦海岸の貝殻を元手に巨大石油資本にまで上り詰めたシェル、もともとはロンドンにあった宝飾品&アンティーク店でした。

ちなみに今では帆立貝のロゴマーク、昔はもっとシンプルな貝殻でした。というわけで、シェルと日本とアンティーク、とっても深い関係があります。

ヴィクトリアン ピンチバック & シェル ボタン with ゴールド装飾 カメオ


No.20068 ヴィクトリアン 銅製&シルバープレート ハンドヘルド 蝋燭立て & キャンドルスナッファー SOLD
高さ 10.5cm、上から見た最大直径 16.5cm、重さ 512g、帽子の高さ 7.1cm、蝋燭穴の直径 2.2cm、ヴィクトリアン後期の英国製、SOLD

今から百年以上前に作られたヴィクトリアン シルバープレート 手持ち式 蝋燭立てです。 消灯帽子(キャンドルスナッファー)を置く専用部分があります。 このとんがり帽子を蝋燭の灯火にかぶせて、火を消す仕組みです。 蝋燭立て本体部分の波模様レリーフも美しく、なかなかに渋いアンティークと思います。

人差し指と中指をハンドルに絡めて、上部の指置き部分に親指をのせて押さえる格好で手に持つ仕組みですが、手になじんでしっかり運べるハンドヘルド タイプの蝋燭立てです。

シルバープレートが薄くなったところから、地の金属が見えますが、ベースメタルは銅と分かります。 銅ベースにシルバープレートは、当時の高級品です。 銅ベースの品は、持ちはかりがほどよくて、たとえシルバープレートが薄くなっても、それがまた古い品の格調と感じられて、品物のよさを感じます。 


ヴィクトリアンの波模様の優雅さとともに、専用キャンドルスナッファーが付属している様子など、現代の品とはどこか違う、まことに昔風なデザインと作りであって、ヴィクトリアン アンティークならではの、たたずまいを感じさせてくれます。 もちろん、実際に蝋燭を挿して実用可能な使えるアンティークでありますが、このまま飾っておかれても、格調高いヴィクトリアーナでありましょう。

波模様を詳しく見ていくと、Cスクロールも見えています。 スクロールパターン(渦模様)の中でもアルファベットの「C」の形状をしたものを Cスクロールと呼びます。 スクロールは波模様デザインの派生形でもあり、また重要なケルティック モチーフでもあります。

波模様のウェーブパターンは、Continuation(続いていくこと)や Eternity(永遠)を象徴するクリスチャンモチーフで、ヴィクトリアンやエドワーディアンの時代に好まれました。 また、渦巻き模様は「Growth(成長)」や「Energy(活力)」を象徴し、ケルティックアートのベーシックとも言われます。 


クイーン・ヴィクトリアが若干18歳の若さで英国王位を継承したのは1837年のことで、この年から1900年までの64年間がヴィクトリア時代にあたります。 ヴィクトリア女王は在位期間が長かったことと、その時代は英国の国力が格段に伸張した時期と重なっていた為に、イギリス史の中でも特にポピュラーな国王となりました。 アンティークの分野にあっても、この時代の物品を指すヴィクトリアーナ(Victoriana)という用語もあって、ヴィクトリア時代を専門とするコレクタターが大勢いるわけなのです。

昔はこんな品を使って暮らしていたわけですが、今使ってみても、たいへんに趣深い道具で楽しめます。 


灯りものアンティークとしては、オイルランプもいいですが、手持ち式 蝋燭立てというのも、これまたお勧めできると考えています。 蝋燭の灯りは見ていて落ち着きます。 オイルランプよりずっと手軽に使えるので、使用頻度が高まります。 そしていつも手軽に使っていると、ますます愛着が湧いてくるという好循環です。

ポワロ シリーズの『スタイルズ荘の怪事件』でも、手持ち式 蝋燭立て が出てきて、ポワロの推理で重要な役割を担っていました。

ヴィクトリアン シルバープレート 蝋燭立て & キャンドルスナッファー(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)ヴィクトリアン シルバープレート 蝋燭立て & キャンドルスナッファー(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)

No.20017 女神 ブリタニア &エリザベス二世 グッドラック ペニー コイン with エナメルワーク
直径 3.1cm、重さ 11g、最大厚み 2mm弱、銅貨は1967年 鋳造

エナメルワークの美しいグッドラック ペニーです。 幸運を呼ぶお守りのように扱われてきた品と思います。 エナメルの上からカバーグラスがかかっていて、エナメルのコンディションがよいままずっと保てるようになっています。 手にした時の重厚感に惹かれるよい品と感じています。

イギリスには現在の最小通貨単位である1ペニー硬貨について、『Find a penny, Pick it up, and then all day, You'll have good luck.』 (ペニーを見つけて、持っとけば、そしたらその日は一日グッドラックあり。)という言いまわしがあります。 

Good Luck ペニーコインは1967年の銅貨で、ヘッド(表)側はエリザベス二世の若かりし頃のポートレート、テイル(裏)側はイギリス国家の守り神とされる女神ブリタニアのデザインです。 

そして、エリザベス二世といえば、イギリスの現女王であり、ロンドン オリンピックの開会式ではジェームス・ボンドとの共演も話題となりました。 戴冠六十周年のゴールデンジュビリーを迎えても、まだまだお元気で、パワーを与えてくれそうです。 写真のコインは今から半世紀ほど前のもので、その頃から女王を続けてきたことは、やはり凄いことだと思います。

イギリスは1971年の通貨制度変更で、それまでの12進法から10進法に改めましたので、旧制度のペニーコインは1970年を最後にイギリスで七世紀から続く歴史を閉じました。 そういう事情で、1967年の貨幣ではありますが、現在のイギリスでは通用しません。

写真のペニーが使われていた時代は、イギリスで通貨制度改革が行われた1971年より前の時代になります。 当時は1ポンドが240ペンスでありました。 1970年に役割を終えていますから、今日では存在しないのが当たり前ですが、素材となっている銅の価格が今では高騰している為に、ペニーの製造原価という側面から見ても、今ではとてもじゃないけど存在し得ないコインとなっていることも興味深く思います。

もう少し詳しく計算してみましょう。ペニー銅貨は9.4グラム、そのほとんどが銅というコインでした。 ニューヨーク マーカンタイル取引所における足許の銅価格は453gあたり3.25ドルでした。 英貨で1ポンドにあたる240枚のペニーを作る為には重さにして2.256kg、銅価格にして16.1ドル。 ポンドドル相場 1.40$/£でポンドになおすと、11.5ポンドになります。 

1ポンド分のペニーを鋳造するのに、素材の銅価格だけで11.5ポンドのコストがかかるとしたら、そんなコインはとてもじゃないけど存在し得ないでしょう。 銅価格の変遷という事情が背景にあって、写真のペニーには、今となってはアンティークでしか手に入らない希少性が備わっているとも思うのです。

あらためて詳細に見てみると、なかなか細工のよいアクセサリーであることが分かります。 女神ブリタニアや女王が浮き出す形でエナメルがきっちり入っていますし、奥ゆきの感じられるエナメルワークは、光にあたった反射光が綺麗です。 エナメルワークとは日本語で言うと「七宝焼き」のことで、金銀などの貴金属にガラス質の釉薬を焼き付ける装飾技法です。 元々は古代エジプトに起源を持ちますが、奈良時代には日本にも伝来しました。 その後七宝焼きは日本で技術的な発展を遂げ、ヴィクトリア時代の英国では、逆に日本の技術が大いに研究もされました。 

最後にイギリスの昔のお金についてですが、1ポンド=20シリング=240ペンスなので、「1ポンド」=「ペニー銅貨240枚」になります。 ポンド、シリング、ペンスと三つの単位を持っていた英国の旧通貨単位はなんだかとても複雑で、十二進法が混じっているので計算するのも億劫です。

昔、サマセット・モームの「月と六ペンス」の題名を初めて見た時に、なぜ六ペンスなのかと思ったものですが、十二進法の通貨単位では、ちょうどきりがよい数字でもあるのです。
1971年になってようやく旧通貨制度が廃止され、1ポンド=100ペンスのすっきりした十進法の制度に代わって現代に至っています。 

この十二進法時代の名残が、今日の英国人の暮らしにまだ残っていることに気が付きました。 娘が通ったイギリスの小学校では、掛け算の九九のことを「Times Table」と呼んで、低学年の子供たちは日本と同じように暗唱するまで練習します。 ところが日本と違うのは「一の段」から始まる九九が「九の段」で終わらないのです。 イギリスの九九は12*12まで覚えます。 日本の九九は81通りですが、英国の九九は12*12=144通りです。 今日の十進法の暮らしなら「十一の段」や「十二の段」は不要なはずですが、ずいぶん昔の名残が未だに残っていて、先生たちも「十二の段」まで教えないと落ち着かないのでしょう。

このややこしい12進法の呪縛をイギリス人にかけたのは、一千年近く前にイングランドを征服してノルマン王朝を開いた、元々はフランス貴族のノルマンディー公ウィリアム(=ウィリアム一世)だったことが知られています。 彼がやってくる前のサクソン時代のイングランドでは、「1シリング」=「5ペンス」だったものを、この新しい征服者が「1シリング」=「12ペンス」にせよと定めたのでした。 そしてその後、お金の単位については1971年までウィリアム一世の定めが守られてきたわけで、そしてまた、今でも21世紀の子供たちが「十二の段の九九」を習っているわけなのです。
女神 ブリタニア &エリザベス二世 グッドラック ペニー コイン with エナメルワーク女神 ブリタニア &エリザベス二世 グッドラック ペニー コイン with エナメルワーク


No. 20223 木製シャフト &フォージド アイアン パター
長さ 90cm、パターヘッドの横長 10.8cm、ヘッドの最大厚み 1.5cm、グリップの最大直径 2cm弱
パターヘッドの裏面には、「WARRANTED AND FORGED」の刻印や、メーカーズマークの刻印があります。

軟鉄鍛造のマッスルバック アイアンになりますが、「PUTTER」の刻印表示がありますので、クラブの用途としては、通常のアイアンではなくて、グリーン上で使うパターであることが分かります。

現代のパターと比べますと、ロフトがずいぶんと寝ていて興味を惹かれます。 今日では芝を限界まで刈り込んだ鏡面のようなグリーンが一般的ですが、ヴィクトリアンやエドワーディアンのゴルフ場では、今よりずっとグリーンの芝が長かったことに関係しておりましょう。

現代のパッティングでは、出来るだけ早くボールを順回転で転がすことが求められます。 芝の長い昔のグリーンでは、おそらくパチンと弾いて、今で言うところのチップショットのようなパッティング技術が必要だったと考えられます。

上記のようなクラブの特性を考慮しますと、今日的な使い方としては、グリーン周りからのアプローチにも使えるということです。 バックに入れる14本のクラブは、自由に選べるのがゴルフです。 時にはゴルフの歴史に思いを馳せて、このアンティーク クラブをチョイスするのも楽しいものです。 

ゴルフの中でもパッティングは好調不調の波が出やすいものです。 調子が出ないときには、この百年ほど前のパターを使ってみるのもいいです。 現代のパターとはウェイトバランスも打感も全然が違いますから、よい気分転換になります。 そして、やっぱりメインパターが使いやすいと、迷いが吹っ切れるきっかけもつかみやすくなるでしょう。

名探偵ポワロのテレビシリーズで、ゴルフ好きのヘイスティングが手にしているようなアンティーク パターになります。 『Murder in the Mews』や、『Murder on the Links』で、写真にあるようなアンティークなゴルフクラブが使われるシーンがありますので、ご覧になってください。
木製シャフト &フォージド アイアン パター



No. 20189 折り畳み式 オペラグラス
伸ばした長さ 8.7cm、縮めた長さ 7.0cm、横幅 10.1cm、鏡筒部の最大外直径 3.85cm、対物レンズ有効直径 2.9cm、重さ 120g、1900年前後の品、

大発明時代であったヴィクトリアンの影響がよく出たオペラグラスで興味深く思います。 

観劇の際には下側に付いた支柱に親指をかけて、他の指は上側において、オペラグラスを挟むようにして保ちます。
向こう側に付いたレバーを動かすとオペラグラスの胴体部が伸縮してピントを合わせる仕組みになっています。 

折りたたむと写真四番目のような平板構造になります。
対物レンズと接眼レンズがそれぞれ内側に折りたためて、さらに中央部に付いている支柱も折りたためる仕掛けです。

可動部のある百年以上前のアンティークが、完品状態で今に至っているもの、レアものアンティークと言ってよいでしょう。

ヴィクトリア女王は若干18歳で英国王になりました、それから1901年までの64年間がヴィクトリア時代です。 彼女が国王になった時、彼女自身も、また多くの英国民も、その後のこの国の大発展を予期していなかったろうと言われています。 しかし実際にはヴィクトリア女王の治世に、英国は大いに伸長し、世界史上これまでなかった規模の大帝国となりました。

テクノロジーの面でもヴィクトリアンからエドワーディアンの頃は大発明時代で、今見ても驚くような立派な発明から、笑ってしまうような発明までいろいろあって、この時代のダイナミックさには大きな魅力があるのです。 「Victoriana」というアンティーク分野があるのも、さもありなんです。 

イギリス社会がまだ若く、世の中に活気があったためでしょう、ヴィクトリアンからエドワーディアンの頃の英国は、発明や工夫が大いに振興した時代でありました。 写真のように一工夫効いた物品がもてはやされた当時の時代状況が見えてきて、興味深いアンティークと思います。
折り畳み式 オペラグラス(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20220 オックスフォード大学出版 オリーブの木 エルサレムクロス 新約聖書
縦 12.0cm、横 7.8cm、厚さ 2.1cm、重さ 154g、1943年 英国製、総ページ数 384ページ、Printed at the University Press, Oxford、一万二千円

表紙と裏表紙はオリーブの木で、厚みが4ミリほどもある板なので、かなりしっかりした装丁です。 製作は「British and Foreign Bible Society」になり、1943年に Oxford の University Press で印刷されています。 

オリーブの板にカービングされているクロスの集合体はエルサレム クロスと呼ばれます。 中央の大きなクロスを座標軸と見立てると、第一象限から第四象限まで、それぞれに小さなクロスが入っている格好です。 これらの小さな四つのクロスは、イエス・キリストの言葉が世界の四方へ広まって行った様子を示しているとされます。

このエルサレム クロスは、あるいはクルセーダーズ クロスと呼ばれます。 11世紀の終りに第一回十字軍がセルジュクトルコに侵攻して、エルサレム王国や十字軍諸国家を建設した当時より、十字軍(Crusader)旗印に使われてきたクロスであるからです。

写真三番目にあるキングからのメッセージは日付が1939年9月15日になっているので、現女王エリザベス二世の父君にあたるジョージ六世からの序文になります。

「王位を賭けた恋」で有名なエドワード八世が劇的な退位を遂げた後に、急遽1936年に英国王になったのがジョージ六世でした。 ご本人も自分が国王向きなパーソナリティーであるとは思っていなかったようで、それまでに国王になる準備がまったく出来ていなかったこともあって、初めのうちは周囲からも大丈夫だろうかと心配されました。 ところがその後の対ドイツ戦争中に、側近たちがバッキンガム宮殿からの疎開を進言したのに、それを拒んで、爆撃を受けるロンドンから執務を続けたことで、国民の人気が上がりました。 戦争中のロンドンはしばしばドイツの爆撃機が来たり、さらにはV1やV2と呼ばれるミサイルまでもが飛んでくる危険な状況でありました。 そんな中でロンドンにあって英国民を鼓舞し続けたジョージ六世の評価が上がったのは当然と言えば当然でしたが、さらには王妃や子供たちを大切にする理想的な家庭の夫であったことも、「良き王」として英国民の尊敬を集める理由となったのでした。

中表紙には新約聖書がイギリスで作られた経緯が説明してあって、「Translated out of the Original Greek : and with the former Translations diligently compared and revised by His Majesty's special command A.D.1611.」とあります。 英国における聖書翻訳の略史ともいえる記述で興味深く思います。

多色刷りでないのは対独戦争中という当時の時代状況を反映しているのかも知れません。 1943年ごろのイギリスはドイツに押されて大変でした。 その品が作られた時代を映す手掛かりが隠されているアンティークには、私はとても興味を惹かれます。

英国は戦勝国とはなったものの、大変な時期であったことは間違いありません。 ロンドンはドイツから弾道ミサイルの攻撃を受けたり、爆撃機による空襲も頻繁にありました。 私の住むところはロンドンの北の郊外で爆撃の目標にはならなかったようですが、近所のお年寄りの話では、ロンドンを空襲した帰りの爆撃機が、残った爆弾を抱えていると重いので、帰路の燃料節約の為に落とし捨てていくコースに当たっていて、怖かったとのこと。 
オックスフォード大学出版 オリーブの木 エルサレムクロス 新約聖書


No. 20208 J. Hudson & Co ARP ウィッスル(Air Raid Precautions)
長さ 8.3cm、直径 1.5cm、重さ 26g、1930年代から1940年代の英国製
写真の品はハドソン商会の笛になります。 

ウィッスルの胴体には、
A. R. P.
J. Hudson & Co
Barr St. Hockley
Birmingham
の表示が見えています。 

歴史的にみて、このウィッスルはイギリスでもかなり強力な笛になります。 防犯用や緊急援助の要請、あるいは野生の動物よけなど、日本でも使える場面は多いだろうと思います。 

A. R. P.= Air Raid Precautions とは戦時の空襲監視員あるいは防空指導員のことです。 空襲に備えるべく、警官や予備役の人たちを中心に組織されたと聞きました。 

以前に扱った ARP銀製品には1936年作がありました。1936年は英国にとってまだ戦時下ではないのですが、このとき既にARPが組織され備えを始めていたことが分かります。 この笛も1930年代から1940年代の品と思います。 

このタイプのWhistle(笛)はヴィクトリアン後期の1880年代に初めて英国のお巡りさん用に作られたもので、もともとの用途である防犯用に携帯したら、かなり力強い味方となるでしょう。 小さく吹くとそれなりの音ですが、力いっぱい吹くと、鼓膜がビリビリするほどの結構なすごい音になります。  

ヴィクトリア時代にイギリスの警察がクラッパムコモンの野原でこの笛の使用実験をしたら、1マイル(約1.6km)先まで音が届く優れものという結果が出たと聞きました。 

ハドソン商会の笛がヴィクトリア時代に開発された当時のエピソードを聞きましたので、ご紹介させていただきましょう。 イギリスの警察がお巡りさん用のウィッスルを新規に買い入れようということになって、業者に新製品開発を公募することになりました。 いくつかの業者が企画に参加して、この笛を考案したハドソン商会も試作品を警察に届けて、テストが行なわれたのです。 ところがその後、いつまで待っても、採用されたのかされなかったのか、結果の通知が届きません。 

さらに時間が経って、驚いたことには、試作品だったはずのこの笛を、街でお巡りさんが使い始めているのがハドソン氏の目に留まったのです。 びっくりしたハドソン氏はどうしたことかと、警察に事情を尋ねに出かけました。 そこでの回答はあらまし以下のようであったのでした。

「いやあ、ハドソンさん、よく警察に尋ねて来ていただきました。 実は貴方にお作りいただいたウィッスルは、テストの結果とても性能が良いということで、警官携帯用の笛として採用となりました。 ところが貴方から提出いただいた関係書類いっさいを失くしてしまいまして、この試作品を作った業者が誰だったのか、分からなくなってしまったのです。 ただ、警察としては、このウィッスルは素晴しい出来なので是非とも使っていきたい。 そんなわけで、貴方には申し訳なかったのですが、他の出入り業者に頼んで、試作品をまねて作らせた次第だったのです。」

本当の発明者がハドソン氏と分かって、仕事はハドソン商会に引き継がれることになって、めでたし めでたしのエンディングとなったそうです。 パテントなど権利の扱いがあまりにもずさんで、今日では考えられないようなお話ですが、資本主義の本家ともいうべきイギリスでも、ヴィクトリア時代にはこんなことがまかり通っていたのでした。

でもイギリスという国では、こういうイージーというか、おおらかというか、いいかげんなことによく出会うのも確かなことで、根っこの部分は今も昔もあまり変わっていないようにも思うのです。 英国アンティーク情報欄にあります「27. ホールマーク漏れと英国人気質」解説記事もご参考まで。

ヴィクトリア時代のお巡りさんについて、情報を得ました。 『What the Victorians Did for Us(Adam Hart-Davis著)』という本によると、ハドソン商会のウィッスルが採用される以前のお巡りさんは、笛の代わりにRattle(ガラガラ)を持ち歩いていたそうです。 

緊急事態が発生したときにはガラガラを振り鳴らして、周囲を警戒中の仲間に知らせたのです。 ところが、やはりガラガラでは、遠くまで音を届かせるという点で性能がいま一つでした。 

そこで、ハドソン商会の笛となったわけです。 ちなみにヴィクトリアン終わり頃における緊急時の支援要請サインは、この笛を三回短く吹き鳴らすことであったそうです。
J. Hudson & Co ARP ウィッスル(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20113 ハドソン商会 イギリス陸軍仕様 ウィッスル with ブロードアロー SOLD
長さ 8.1cm、最大直径 1.5cm、重さ 26g、ロイヤルアーミー (イギリス陸軍)仕様、一万一千円 SOLD
防犯笛 ハドソン商会 イギリス陸軍仕様 ウィッスル with ブロードアロー(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20205 テンプル ロンドン ベークライト オペラグラス
横の長さ 11.0cm、対物レンズ口径 3.0cm、接眼レンズ口径 1.8cm、重さ 168g、1930年代 英国製、ロンドン テムズ川沿いのテンプルで使われていた品

ベークライト構造で、持った感じがしっかりしており好印象です。 写真二番目で 『TEMPLE CHAMBERS E.C.4』とあるのはロンドンのアドレスです。 作られたのは1930年代、テムズ川沿いのテンプルにあった劇場備え付けオペラグラスだったということです。 

FIXED FOCUSとありますように、ピント調整機能はありませんが、実際に使ってみると、特に不便は感じないどころか、接眼レンズ口径 1.8cmと大きいので、見やすくて扱いやすいオペラグラスです。

ロンドンのテンプルというと、今でも荘重なる建物が多く、ゴージャスな雰囲気の界隈です。 ロンドン地下鉄のサークルラインにテンプル駅がありますので、近くを通ったり、名前を聞いた覚えのある方も多いでしょう。 テンプルという地名は、12世紀以来この地にあるテンプル教会に由来します。 中世にはテンプル騎士団のイングランド本部でありました。 推理小説 『ダ・ヴィンチ・コード』でも登場しております。

素材のベークライトとは化学者Leo Baekelandが20世紀初めに発明し、1907年にパテントを取った史上初の人工硬質プラスチックです。 この素材の熱に強く非常に固い性質は、彫刻を加えるなど複雑な加工に耐えるという意味で、コスチュームジュエリーの材料として注目され、1920年代から40年代にかけてベークライトのコスチュームジュエリーが全盛となりました。

ベークライトは高温高圧の製造過程でしばしば爆発を起こし危険であったことや、第二次大戦後にはいろいろな高機能プラスチックが登場したことで、60年代半ばには生産中止となりました。 しかし逆に製造期間が限定されていたことから、アンティークとしての価値が増し、今日ではコレクター アイテムとなっており、特にアメリカには大勢の収集家がいます。

ベークライト フレームのお手入れには、日本磨料工業製の『ピカール』をお奨めします。 主にはブラス磨きの製品で、海上自衛隊の御用達でもあるそうです。 ピカールはブラス(真鍮)以外にもあらゆる金属に使えるのみならず、プラスチックや象牙等のお手入れにも使用可能とありますので、一本あるとなにかと便利でしょう。
テンプル ロンドン ベークライト オペラグラス(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No.20204 Rapport London 木製ケース 置時計
高さ 15.3cm、横幅 9.3cm、奥行き 5.2cm、重さ421g、台座の縦横 10.7cm*6.1cm、

Rapport Londonは、ヴィクトリア時代の1898年創業、今でも続く老舗の時計店です。
https://www.rapportlondon.com/about-rapport-heritage.html

現在の扱い品を眺めてみましたが、このタイプの木製ケース置時計は、今では製造を終えているようで、もうありません。

木製ケースの置時計からは、古きよき時代の味わいが伝わってきます。 写真二番目をご覧いただくと、文字盤の下方には「London」と見えます。

写真四番目をご覧いただくと、時計駆動部に「Germany」の表示があります。 すなわち、時計の駆動部は電池式のドイツ製です。 時計心臓部のメカは安心なドイツ製ということで、単三電池一本で正確に時を刻んでくれます。

木製ケースといっても、写真四番目に見えるように、時計の駆動部をはめ込む円形の穴以外の部分は、木が中身まで稠密な構造で、内部が中空な木箱ではありません。 オーク材と思われますが、重厚かつ落ち着きのあるオークの感じがよろしくて、作りのよい時計と思います。

オーク材の落ち着いた輝きはとても英国風であることから、オークをふんだんに使ったマナーハウスの優雅な「オークホール」を思い出しました

古いフォルムや昔のあり方を残しながら、中身は新しいというやり方は、ある意味イギリス人の好むところで、例えば創業1913年の自動車メーカー モーガン・モーター・カンパニーなど、似たような事例と思います。

写真五番目は、アンティークなモーガンというメーカーの解説書です。 いかにも英国風なこの会社、イギリスの奥行きを知るには格好な対象の一つではないかと思っています。

1930年代のクラシックタイプの車を、今でも生産している自動車メーカーになりますが、たしかエンジンはフォード製だったりします。 でも外見はどう見ても、1930年代のクラシックカーで、注文してから納車まで数年待ちだそうです。 モーガン・モーター・カンパニー: http://www.morgan-motor.co.uk/

徳大寺有恒氏によれば、『基本形は1930年代に成立したもので、それをいまだに変えずに作っている。 こういう化石同然の車が残っているあたりが、さすがイギリス。 レトロといったら、これほどレトロな車はない。 風を巻き込んで冬は寒い。 モーガンは最初から雨とか雪とか関係ない車なのだ。 乗れるときにしか乗らない、一種の自転車みたいなものであり、そう覚悟を決めてかかると、車と言うものはいたって贅沢な存在になる。』

私もイギリスでモーガンの車が走っているのを、時々見かけます。 天気が変わりやすく、にわか雨が多い英国では、モーガンのオープンカーに乗るのはけっこう大変。 防寒着を着込んでいるドライバーを見ていると、快適さとは縁遠そう。 こういうアンティークとの付き合いには、やせ我慢が大切な素養かもと思えてきます。 でも、乗ってみたい。

写真のような時計のあり方も、古式ゆかしいフォルムや、オークの落ち着いた雰囲気にこだわって、それを好むところが、英国風なんだろうなあと見ております。
Rapport London 木製ケース 置時計(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)Rapport London 木製ケース 置時計(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20198 Columbine 花言葉 ヴィクトリアン アンティーク ポストカード(未使用)
横の長さ 8.7cm、縦の長さ 13.8cm、ヴィクトリアン後期の英国製、

Language of Flowers、Columbine、Resolved to Win

Tinted Cards と呼ばれます。あるいはHand painted after printing とも。

服装も見ての通りで、かなり古いもの、ヴィクトリアン後期の英国製です。

裏面にはEntirely British Production の表示があります。

Columbine 花言葉 ヴィクトリアン アンティーク ポストカード(未使用)(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20196 Cornish Serpentine ストーン コンパス 
直径 5.1cm、最大厚み 1.6cm、重さ 58g、コンパス本体部分の直径 1.65cm、英国製、

コーニッシュ サーパンタイン ストーンで、ブラスのコンパス本体を包んだ作りの方位磁針になっています。 コーニッシュとはイギリス西南部に位置するコーンウォール地方の、という意味です。

コンパスの周りを囲っている Serpentineは、石の模様が賑やかなので一見したところやわらかそうな石に思えますが、硬度表によれば硬度5で黒曜石と同じ硬さです。 黒曜石はその硬い性質から大昔は弓の矢じりに使われた素材ですから、Serpentineもかなり硬い石に分類されます。

Serpentineストーンの世界における主要産地はイタリアとイギリスで、イギリスの中では特に英国最西部のコーンウォール地方から産出します。 この品は英国独特の素材を使っているという意味でも、Very Britishなコンパスと言ってよいでしょう。 

サーパンタイン ストーンの直径は5センチほどあって、重さが58グラムですから、コンパスとしてはヘビー級です。 

コンパス本体が直径 1.65cmと小さいのに、磁針がしっかりよく動くところも良いでしょう。 と言いますのは、磁針が短いコンパスでは、支柱との摩擦抵抗が無視し得ない場合も多くなり、小さくてもよく動くコンパスはなかなか見つからないものなのです。 

コーンウォール地方については、「英国アンティーク情報」欄にある「28. Tintagel アーサー王伝説の村」の解説記事もご覧ください。

コーンウォールはイギリスの西端にある半島で、遠い昔にはケルト系の人たちが押し込まれていった地方です。今でもある程度のわだかまりがあるようで、イングランド人の知り合いに聞きますと、旅行でパブに入ると、土地の人たちがイングランド人に向ける何かしらの違和感を感じることがあるそうです。

私のような完全に外国人の日本人には、親切にしてくれる人たちなのですが、、、、。 そういう背景も分かっていけたらと思っています。

ざっくり英国史
紀元前: ケルト系ブリトン人
紀元前後から4世紀: ローマ帝国が支配
5世紀 アングロ・サクソン人が征服
11世紀 ノルマン人が征服
https://twitter.com/igirisumonya/status/1064292958910984192

Cornish Serpentine ストーン コンパス(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20195 コーンウォール お化け アンティーク ポストカード with ジョージ五世 ワンペニー切手
横の長さ 8.8cm、縦の長さ 13.9cm、

コーンウォールのお化けたちですが、なんだか日本にもいそうな感じで、興味を惹かれました。

裏面にはワンペニー切手が貼ってあります。 また、1936年8月14日の消印から、今から八十年以上前のポストカードと分かります。

切手は英国王ジョージ五世のポートレートです。 ジョージ五世は1910年から1936年までの英国王で、その王妃がドールハウスでも有名なQueen Maryになります。 メアリー王妃はアンティークや刺繍が趣味の奥方でした。

英国アンティーク ドールハウスの最高峰、ウィンザー城にあるメアリー王妃のドールハウス】も、ご参考まで。


コーンウォール地方については、「英国アンティーク情報」欄にある「28. Tintagel アーサー王伝説の村」の解説記事もご覧ください。

コーンウォールはイギリスの西端にある半島で、遠い昔にはケルト系の人たちが押し込まれていった地方です。今でもある程度のわだかまりがあるようで、イングランド人の知り合いに聞きますと、旅行でパブに入ると、土地の人たちがイングランド人に向ける何かしらの違和感を感じることがあるそうです。

私のような完全に外国人の日本人には、親切にしてくれる人たちなのですが、、、、。 そういう背景も分かっていけたらと思っています。

ざっくり英国史
紀元前: ケルト系ブリトン人
紀元前後から4世紀: ローマ帝国が支配
5世紀 アングロ・サクソン人が征服
11世紀 ノルマン人が征服
https://twitter.com/igirisumonya/status/1064292958910984192

コーンウォール お化け アンティーク ポストカード with ジョージ五世 ワンペニー切手(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20193 Amber 宝石言葉 I draw you to me. アンティーク ポストカード(未使用)
横の長さ 8.8cm、縦の長さ 13.8cm、ヴィクトリアン終り頃からエドワーディアン頃の英国製、

花言葉シリーズのヴィクトリアン ポストカードがありましたが、こちらは姉妹版 宝石言葉のポストカードで、アンバー(琥珀)が左上に見えています。 

興味深く思ったのは、うっそうとしたシダの様子で、ヴィクトリア時代の人々の好みが反映されています。 これほどシダが生えていると、あまりロマンチックな感じがしないどころか、なんでこんな場所で?、、、とすら思うのですが、おそらく百年ほど前のイギリスの人たちから見ると、いい感じのロケーションであったのだろうと思います。  

ファーン(Fern)パターンとは、シダ模様を指します。 19世紀のイギリスにおいては、稠密かつ精巧なナチュラルデザインとしてファーンが好まれ、コンサバトリーで育てる人気の植物となっていました。 ウォード箱を使ってさまざまな種類のファーンを収集することも広く行われておりました。 そうしたことが背景にあって、ファーンパターンはヴィクトリアン装飾の中でも特に人気の高いモチーフのひとつとなったのでした。 ヴィクトリアンのフラワーコード(花言葉)によれば、FernにはFascination(魅惑)、Magic(不思議な力)、Sincerity(誠意)といったコードがあてられています。

もともとは王宮庭園であったキューガーデンが、王立植物園として生まれ変わったのはヴィクトリア時代の初め頃でありました。 植物研究施設としてのキューガーデンが、ヴィクトリアンの人たちの植物好みを引っ張ったと言うこともあるでしょう。

このアンティーク ポストカードに見られる様子には、百年ほど前の人たちのファーン(Fern)好みが色濃くは反映されているわけですが、当時のイギリス人のシダ好みって、半端じゃない強烈さがあったように思えて、面白く見ました。

Amber 宝石言葉 I draw you to me. アンティーク ポストカード(未使用)(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20191 革のかばん 一部 SOLD
本体長方形の縦横 37.5cm*29.0cm、重さ 720g、持ち手を含めた高さ39.0cm、底部の厚み 6.0cm、バーの長さ 24.8cm、 (二つあります-->一つあります。)

このミュージックバッグはかなり古くからあって、モデルチェンジせずに現在に至っているようで、そんな辺りは英国風を感じます。
同様な例がアスプレイの銀匙にあったのを思い出しました。

アスプレイ アール・デコ スターリングシルバー スプーン


これはアンティークではないのですが、古くからある楽譜屋の片隅で見つけたものです。 そこの店主さんは、例えば「モーツァルトの○○番はありますか?」と言えば、たちどころにカウンターの後ろにある沢山の引き出しの中から楽譜を探し出してくれます。 また、曲の感じを知りたい時はその場でピアノを弾いてくれる根っからの音楽好きな方です。

このバッグを求めた時には、知り合いで白髪のご婦人が、「このバッグはとても長く持つのよ。 1930年代から母が使い始めて、私が譲り受けても、糸のほつれを直してまだまだ使えるの。」と教えてくれました。  ジッパーやボタンではなく、取っ手を潜らすバーで開閉することにより、楽譜を傷めないように配慮されています。

こだわりのあるお母さん方の子供たちは、このバッグに楽譜を入れてピアノやバイオリンのお稽古へぶら下げていきます。 そして大人になった頃にはそれなりの傷やハクがついて、もっと風合いが出てくるのです。

本来は楽譜用のかばんですが、楽譜に限らず、普通にかばんとして使ってみても素敵だなと思いました。

内側はプレーンなレザーの裏地だけで、ポケット等は付いていません。 いろいろと気の利いた工夫が多い日本のかばんと比べると、少し物足りない感じもするのですが、Simple is the best.というコンセプトで作られているのは、いかにも英国風とも言えて、それもまたよいかなと思うのです。

革のかばん(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)





No. 20171 狩猟犬 コークスクリュー
スクリューの先から前足までの長さ 8.0cm、重さ 35g、最大厚み 1.1cm、1930年代の英国製、一万一千円

ブラスで出来た犬のワイン栓抜きで、狩猟用のワンちゃんに見えます。 1930年代の英国で犬のコークスクリューが流行ったと聞きました。 イギリスには犬の好きな方が多いので、昔からこういったデザインは需要があったろうと思います。

それから、このコークスクリューはしっかり出来ており好感が持てます。 犬の本体部分は稠密なブラスなので、持ちはかりがあって重厚な感じ、グリップが効いてしっかり手になじみます。 らせん状の尻尾も取り付けがとても頑丈です。 

ブラスという素材はパブのカウンターとか、マナーハウスのドアノブなど英国の昔ものには欠かせない素材で、磨き上げられたブラスの光沢は落ち着きと品があって、英国風を感じさせます。 

ブラスのお手入れについては、ブラス専用の磨き液がありますので、ご紹介しておきましょう。 私はReckitt & Colman社のBrassoという磨き液を使っています。 スペイン製ですが、なぜか缶の表には英国王室御用達のQE2マークがあります。 イギリス人はブラス好きで、昔から英国風には欠かせない素材であったことが関係あるのかも知れません。 

それから日本でも簡単に手に入るお手入れ用品として、日本磨料工業製の『ピカール』という品もあります。 使い比べてみて、ピカールはブラス(真鍮)以外にもあらゆる金属に使えるのみならず、プラスチック、象牙、管楽器等のお手入れに使用可能と書いてありました。 ピカールの方が用途が広くて便利かも知れません。

狩猟犬 コークスクリュー(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20169 ヴィクトリアン 折りたたみ式 鉄製 コークスクリュー (ワイン栓抜き)
伸ばした長さ 10.9cm、閉じた長さ 6.4cm、横幅 3.9cm、重さ 36g、ヴィクトリアン終り頃からエドワーディアン頃の英国製、八千円

伸ばしていると危ない感じもいたしますが、この品は折りたたみ式で、収納状態ならまったく安心です。 手にしてみると楽しいもので、なにはなくとも、出したり入れたりしてみたくなります。 

写真の品は鉄製のコルク栓抜きです。 かなり古いにもかかわらず、モダンな雰囲気もあって、面白いと思います。 栓抜きのスクリュー棒を両側から挟み込む二本のアームが、強力なスプリングの働きをする、なかなかのアイディア品です。 スクリュー棒とアームの接合部は凹凸の形にスティールが切ってあり、アーム両サイドから押す力が強いので、写真一番目のように閉じた状態か、写真二番目の伸ばした状態で、カチッと形状が収まる仕掛けになっています。 

コルク栓抜きは英語で言うと「Corkscrew」になりますが、この単語の響きがなんとなく好きで、実際に使えるアンティークであることにも惹かれるのです。 使えるアンティークとしてはコンパスや置時計もよいのですが、食事や会話を楽しんでいる中で、ワインの栓を抜くひと時というのは、華のある儀式のようなものであって、そんなときに使えるアンティークなコークスクリューに興味を覚えます。

英国アンティークにはアイアン アンティークという専門分野があります。 イギリスには世界初の鉄橋で、ユネスコの世界遺産にもなっているアイアンブリッジという誰もが知っている観光地があって、英国人にとってアイアン アンティークと言われてまず思い浮かぶのは、この産業革命の遺産であるアイアンブリッジであることが多いようです。 鉄の道具の歴史はかなり古いわけですが、ジョージアンの時代の中頃に始まった産業革命の影響が大きく、次のヴィクトリア時代を通じて、鉄製品が芸術的な領域にまで高められていきました。 ですからイギリスにおけるアイアン アンティークとは、この国の人たちにとって誇らしいアイアンブリッジや産業革命の延長線上にあって、ヴィクトリアンのノスタルジーを感じさせてくれるアンティーク分野であるのです。

赤錆や黒錆が混じっていますが、基本的には黒錆が勝っており、これからもお手入れしだいで、いい感じなアイアン アンティークになっていくでしょう。

ヴィクトリアンからエドワーディアン頃のブラックスミスの仕事になります。 金属細工人の中でも鍛冶屋さんをスミスあるいはブラックスミスと言いますが、主要な交通手段が馬や馬車であったヴィクトリア時代においては、ブラックスミスはとても重要な職業で、どこの村にも鍛冶屋さんがありました。 カンタベリー大司教になったセント・ダンスタンは鍛冶屋さんでもあったという話がありますが、これなどは昔の時代にあっては鍛冶屋さんの役割が重要であった証左とも言えましょう。

各方面に技術が進歩した現代ではちょっと想像がつき難い所でありますが、昔の時代にあっては鍛冶屋さんは長いあいだ社会の先端技術者であり続けました。 もっと遠い昔、ヒッタイトの時代には鍛冶屋の技術を修めれば征服者にもなれたことに思いをいたしてみるのもよいでしょう。

知り合いに先祖が鍛冶屋さんだった方があって、その方は電気関係のエンジニアですが、科学全般に造詣が深く鍛冶屋の仕事についても、いろいろ教えてもらいました。 赤錆、三酸化鉄、黒錆、五酸化鉄、鉄の焼入れ等々、錆も含めた鉄のコントロールについていろいろ習いました。 ごく簡単に言えば、赤錆は悪い錆びですが、黒錆=四酸化三鉄=トリアイアン・テトラオキサイド(triiron tetraoxide)は鉄を守るよい錆びです。 経験的に知っていたのかも知れませんが、こういう化学知識も備えもって鉄をコントロールしてきたのが、昔の鍛冶屋さんであったのです。

ヴィクトリアン 折りたたみ式 鉄製 コークスクリュー (ワイン栓抜き)(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)ヴィクトリアン 折りたたみ式 鉄製 コークスクリュー (ワイン栓抜き)(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20167 エドワーディアン アール・ヌーボー femme-fleur モチーフ スターリングシルバー ハンドル+スティール ブレード 靴べら
長さ 17.3cm、重さ 46g、最大横幅 3.2cm、柄の最大厚み 0.9cm、1903年 ロンドン アセイオフィス or 1907年 バーミンガム アセイオフィス、一万四千円

今から百年以上前のエドワーディアンの時代に作られた靴べらです。 女性の横顔が美しいと思いました。 

ブレードとハンドルともにコンディションがよく、かなり綺麗なエドワーディアン アンティークです。

流れるような髪の女性とフラワーデザインを特徴とする femme-fleur はフレンチ アール・ヌーボーに典型的なモチーフですが、ヴィクトリアン後期からエドワーディアンの英国アンティークにも見られるデザインで、英語ではdream-maiden モチーフとも呼ばれます。

柄の付け根にはブリティッシュ シルバー ホールマークが刻印されています。 アセイオフィス マークが読み取りにくいのですが、その他のホールマークの字体から類推して、1903年のロンドンか、あるいは1907年のバーミンガムのどちらかとなります。

エドワーディアン アール・ヌーボー femme-fleur モチーフ スターリングシルバー ハンドル+スティール ブレード 靴べら(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)エドワーディアン アール・ヌーボー femme-fleur モチーフ スターリングシルバー ハンドル+スティール ブレード 靴べら(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20138 木製 額縁入り 『エンジェルヘッド』
縦 13.35cm、横 10.3cm、最大厚み 1.45cm、重さ 97g、1930年代の英国製、The Fine Arts Publishing Company Ltd作、3/5 Burlington Gardens, Bond Street, London

レイノルズの有名作品 『エンジェルヘッド』の複製プリントを額縁に入れた品になります。 The Fine Arts Publishing Company によるもので、1930年代あたりの品と思います。

額縁の裏面には、Title: Angels Heads、Artist: Reynolds、The Fine Arts Publishing Company Ltd とあります。

イギリス人にとって、レイノルズの『エンジェルヘッド』は、お気に入りの作品であるようで、教会関連のコモンプレイヤーやヒムスの挿絵として使われているのをよく見かけます。

もう一つ、この品の注目点は「3/5 Burlington Gardens, Bond Street, London」という裏面に記されたアドレスにあろうかと見ております。 ロンドン ボンドストリートにあるアスプレイに近い辺りにBurlington Gardensがあります。 フォートナム&メイソンの近くでもあり、ロンドン観光においでの際に、ロイヤル アカデミー オブ アーツやバーリントン アーケードを散策された方もあるでしょう。

The Fine Arts Publishing Companyは、現在ではもうなくなっておりますが、このあたりは今でも感じのよいところで、ロンドンの中でもポッシュな界隈であります。

写真をご覧になってください。 ロイヤル アカデミー オブ アーツの建物になりますが、この立派な建物のアドレスが「6 Burlington Gardens」になります。

そうしますと、写真の木製額縁入り『エンジェルヘッド』を作った The Fine Arts Publishing Companyのアドレスが、「3/5 Burlington Gardens」とありますので、ロイヤル アカデミー オブ アーツから、通りを渡ったちょうど向かい側に、店舗を構えていたということが分かるのです。

ロイヤル アカデミー オブ アーツが建築されたのはヴィクトリア時代の半ばであり、この界隈はヴィクトリア時代の昔から、ロンドンの中でもアート関連のビジネス拠点であったということでありましょう。

古いアンティークを手元で眺めて、アドレスを手掛かりにして、その品が売られていた当時の界隈の様子に想いをいたしてみる、そんな楽しみがあるアンティークです。 そして、ロンドンにおいでの際には、このアドレスへ出かけてみると、ロンドンの中でもいい場所でありますし、旅の目的や楽しみが増すことでありましょう。

木製 額縁入り 『エンジェルヘッド』 (英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)木製 額縁入り 『エンジェルヘッド』 (英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)






No.20130 ヴィクトリアン or エドワーディアン アール・ヌーボー  リボン飾り 銅製 マッチケース
横の長さ 4.3cm、縦の長さ 2.9cm、厚み 1.45cm、重さ 12g、一万三千円

アール・ヌーボー デザインが優美な銅製マッチケースです。 四隅にはユリと思われる植物が綺麗です。上下にはリボン飾りがクルッとかかっていて、ヴィクトリアンからエドワーディアンの頃、おそらくは1900年前後の英国製と思います。

内側には木製ケースが入っていますが、一世紀ほどの年月を経て朽ちかかっており、側面のヤスリも弱くなっているので、銅製のフレーム本体を活かして、内部のマッチ箱は自作してください。

それから、クルッとしたリボン飾り、どうもこのデザインはヴィクトリアン終わり頃からエドワーディアン頃に多いように思います。当時のイギリスで流行ったデザインと云うことでしょう。夏目漱石のロンドン留学の頃と重なっております。漱石もロンドンで影響を受けて、『三四郎』に出てくるリボンの話に繋がっていったのではないかと考えています。

このリボン飾りについて少し考えてみたいことがあります。二十一世紀に暮らす日本人の私たちは、この装飾を見て、リボンがクルッとかかって、かわいいなと思われるでしょう。しかしながら、この品が使われていた一世紀ほど前に、当時の日本人が見たとしたら、そう簡単にはピンと来なかった可能性が高いのです。

その手掛かりは朝日新聞に1908年に連載された夏目漱石の『三四郎』にあります。第二章の最後に以下の一節がありますので、まずは読んでみましょう。

『四角へ出ると、左手のこちら側に西洋小間物屋(こまものや)があって、向こう側に日本小間物屋がある。そのあいだを電車がぐるっと曲がって、非常な勢いで通る。ベルがちんちんちんちんいう。渡りにくいほど雑踏する。野々宮君は、向こうの小間物屋をさして、
「あすこでちょいと買物をしますからね」と言って、ちりんちりんと鳴るあいだを駆け抜けた。三四郎もくっついて、向こうへ渡った。野々宮君はさっそく店へはいった。表に待っていた三四郎が、気がついて見ると、店先のガラス張りの棚に櫛だの花簪(はなかんざし)だのが並べてある。三四郎は妙に思った。野々宮君が何を買っているのかしらと、不審を起こして、店の中へはいってみると、蝉(せみ)の羽根のようなリボンをぶら下げて、
「どうですか」と聞かれた。』 (以上、引用終り)

四つ角というのは本郷三丁目の交差点で、向こう側の日本小間物屋というのは、「本郷も兼安までは江戸のうち」の川柳で有名な兼安を指しています。「蝉(せみ)の羽根のようなリボン」という表現は、すさまじい感じで、リボンを見たことがない人にも、リボンがなんたるか説明したい漱石の親切でしょう。

『三四郎』を今読むと、なんともノスタルジックで、アンティークな読み物と感じますが、朝日新聞に連載された頃はトレンディー小説だったわけで、当時の先端事情が物語の背景にあります。

小説の中で、野々宮さんがリボンを買いに、交差点を渡って、向こう側の日本小間物屋に行っていることがポイントです。明治終わり頃まで日本には国産リボンはありませんでした。リボンは西洋からの輸入品で、殖産興業の観点から高率な関税がかけられ、簡単に手に入る品物ではなかったのです。 

ところが、ようやく国産リボンの生産が始まったのが、ちょうど『三四郎』の時代でした。ですから、野々宮さんは西洋小間物屋ではなく、日本小間物屋でリボンが買えたわけです。国産リボンが出始めて間もない時代であったので、トレンディーでない普通の読者向けには「蝉(せみ)の羽根のような」という説明も必要だったと思われます。

写真のアンティークは『三四郎』と同じ時代に作られておりますことから、当時の普通の日本人にとっては、まだまだ馴染みのうすいリボンだったと考えられるのです。 

ヴィクトリアン or エドワーディアン アール・ヌーボー  リボン飾り 銅製 マッチケース


No. 20122  ウィッスル with 『MADE IN ENGLAND』 SOLD
長さ 8.2cm、直径 1.5cm、重さ 20g、SOLD
ウィッスル with 『MADE IN ENGLAND』


No. 20094 ヴィクトリアン シェイクスピア シリーズ 『ジョン王』 アーツ・アンド・クラフツ 布張り装丁 チズウィック・ プレス
縦 15.4cm、横 10.4cm、厚さ 1.1cm、115ページ、重さ 160g、1899年 George Bell & Sons ロンドン、Chiswick Press 印刷、一万二千円

イギリスの劇作家シェイクスピアの歴史劇 『ジョン王』 のヴィクトリアン アンティーク本になります。 

シェイクスピア史劇『ジョン王』については、探してみたら、こんなのもありました。 ちょっと、雰囲気を感じてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=tm5WVxlJ__8

ジョン王といえば、1215年のマグナ・カルタ(大憲章)が有名で、歴史の授業で習ってきたので、日本人の私たちにもなじみがあります。

日本の文庫本サイズですが、ハードカバーの布張り装丁本で、たいへん格調高いアンティーク本と感じます。 扉を開いてみると、写真三番目の下方に見えるように、『London George Bell & Sons 1901』とあります。 このシェイクスピア シリーズは、ヴィクトリアン終り頃からエドワーディアン頃にかけて、順に出版されましたが、この本はヴィクトリア時代の終りからエドワーディアン初年にあたる1901年に出たものと分かります。 百年以上前の本ですが、コンディション良好で、手元において眺めていても満足です。

このシリーズ書籍は夏目漱石と大いに関係ありと、私は考えております。 ロンドン留学中に英文学書籍を買い集めていた漱石が、書店で見て手にして、おそらくは求めて日本に持ち帰った一冊だろうと推理しています。 詳しくは以下をご覧ください。

【このアンティーク本を夏目漱石がヴィクトリアン ロンドンで手にしたに違いないと推理するわけ。】
モスグリーンの布張り装丁には、アーツ・アンド・クラフツのチューリップ & フォーリッジ インターレーシング パターンが綺麗です。 印刷元のチズウィック・プレスは、ウィリアム・モリスの初期デザインを世に知らしめたことで名を成して、イギリスにおける印刷の歴史に大きな足跡を残しました。 

また、挿絵を描いている Byam Shaw はヴィクトリアン後期からエドワーディアンの頃に活躍したラファエル前派からつらなる画家で、シェイクスピアの挿絵画家としても人気がありました。 1910年には Byam Shaw School of Arts を創立しています。 現在ではこのアート・スクールは芸術分野において世界でも有数なCentral Saint Martins の一部になっています。

本文および用語解説の本体部は115ページありますが、それ以外に巻頭部には挿絵とイントロダクションが十ページほどあって、その後に登場人物説明、そして本文にあたる第一幕が始まっていきます。 

写真四番目は第一幕の始まり部分で、合計五幕構成の各幕始めにはそれぞれに違っていて楽しめるちょっとした挿絵があります。 その他に写真五、六番目のような大きな挿絵が合計六ページあるのも嬉しいところです。 

最終幕の後に写真七番目のような挿絵と『The End』が見えます。 さらにその後に続いているのが、「Glossary and Notes」の巻末用語解説で、六ページあって昔の用語について参考になります。 

英国BBC製作テレビシリーズの一つである『ジョン王』 を手助けにして、ヴィクトリアン・アンティーク本を読んでみるのも面白いと思います。 百年以上の古さを持ったアンティークなテキストは、ちょっと立派過ぎるかも知れませんが、英語シェイクスピアの鑑賞&学習、まずは形から入るやり方もありでしょう。 

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【シェイクスピア英語原典の読み方(イギリスの学習参考書から眺めた英国における古典教育)】
【このアンティーク本を夏目漱石がヴィクトリアン ロンドンで手にしたに違いないと推理するわけ。】
ヴィクトリアン シェイクスピア シリーズ 『ジョン王』 アーツ・アンド・クラフツ 布張り装丁 チズウィック・ プレスヴィクトリアン シェイクスピア シリーズ 『ジョン王』 アーツ・アンド・クラフツ 布張り装丁 チズウィック・ プレス


No. 20119 ロザリオ クロス with スタンホープ
クロスの縦 4.1cm、横 2.7cm、厚さ 0.6cm、ロザリオ一周の長さ 57cm、1910年代、英国製、二万五千円

クロス中央にある直径わずか1.5mmほどのレンズを覗き込むと、「幼子のキリストを膝に抱いて座った聖母マリアの前に跪く聖ドミニクの図」のマイクロフィルム写真がとてもはっきりくっきりと見えます。どんな絵かお伝えしようと思いざっと描いてみました、本当はもっと精密な宗教画なのですが、ご参考まで。

この仕掛けはスタンホープと呼ばれます。ヴィクトリア中期にクリスタル素材のスタンホープレンズとマイクロフォト技術が開発されたことによって、ピンの頭ほどのマイクロフォト写真に、お祈りの図などを撮って、それを拡大して見せる仕掛けが可能になったものです。スタンホープは1870年頃から1920年頃まで主に作られていました。

その後はスタンホープレンズを作るメーカーがなくなってしまい、この技術も絶えました。今日では技術を復活させてスタンホープを作っている愛好家のメーカーがアメリカに一社だけあるそうです。

先日、英国でスタンホープ研究の第一人者の方とお話させていただく機会があって、いろいろ教えていただきました。何でもその道の専門家がいて、ずいぶんマイナーなことでも調べている人がいるというのが、イギリスという国の面白いところだと思います。また、イギリスにはスタンホープ コレクターズクラブがあって、年に一度はミーティングを開いて、セミナーや情報交換をしているとのことでした。

このクロスはお祈りの際に用いる数珠(じゅず)でロザリオ(rosary)と呼ばれます。クロス本体の彫刻が美しく、数珠にも丸モチーフのデザインで統一された彫刻が施されています。

スタンホープが夏目漱石の『吾輩は猫である』に出ていると教えていただきました。

夏目漱石 『吾輩は猫である』六、迷亭君と細君の会話

迷亭君は今度は右の袂の中から赤いケース入りの鋏(はさみ)を取り出して細君に見せる。「奥さん… この鋏を御覧なさい… ここに蠅の眼玉くらいな大きさの球がありましょう、ちょっと、覗いて御覧なさい」 「おやまあ写真ですねえ。どうしてこんな小さな写真を張り付けたんでしょう。」

以上です。

私が思いますには、スタンホープが英国で流行っていた頃に、漱石はロンドン留学しておりますので、漱石はイギリスでスタンホープを見知る機会があって、そんな経験が『猫』にもあらわれているのだろうと考えます。

今ではあまり見かけないスタンホープ、漱石の時代には流行りものだったことが、うかがい知れるのは、このアンティークの面白さと感じます。

ロザリオ アイボリークロス with スタンホープ(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)ロザリオ アイボリークロス with スタンホープ(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)ロザリオ アイボリークロス with スタンホープ(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20115 ハドソン商会 ウィッスル SOLD
長さ 7.8cm、ボディーの直径 1.5cm、重さ 18g、SOLD
ハドソン商会 ウィッスル


No. 20112 ヴィクトリアン アール・ヌーボー シェイクスピア 『恋の骨折り損』 アーツ・アンド・クラフツ 布張り装丁 チズウィック・ プレス
縦 15.4cm、横 10.4cm、厚さ 1.1cm、123ページ、重さ 152g、1901年 George Bell & Sons ロンドン、Chiswick Press 印刷、一万二千円

イギリスの劇作家シェイクスピアの喜劇 『恋の骨折り損』 のヴィクトリアン アンティーク本になります。 

『ナヴァールの王様と友人たち4人は、学業に専念する誓いを立てた。その中には女性には会わないという誓いも。そんな折、フランス王女がナヴァールにやってくる。誓いをたてた4人であったが、王女と3人の侍女たちに一目惚れ。さてさて、、、』

日本の文庫本サイズですが、ハードカバーの布張り装丁本で、たいへん格調高いアンティーク本と感じます。 扉を開いてみると、写真三番目の下方に見えるように、『London
George Bell & Sons 1901』とあります。 このシェイクスピア シリーズは、ヴィクトリアン終り頃からエドワーディアン頃にかけて、順に出版されましたが、この本はヴィクトリア時代の終りからエドワーディアン初年にあたる1901年に出たものと分かります。 百年以上前の本ですが、コンディション良好で、手元において眺めていても満足です。

このシリーズ書籍は夏目漱石と大いに関係ありと、私は考えております。 ロンドン留学中に英文学書籍を買い集めていた漱石が、書店で見て手にして、おそらくは求めて日本に持ち帰った一冊だろうと推理しています。 詳しくは以下をご覧ください。

関連記事:
【このアンティーク本を夏目漱石がヴィクトリアン ロンドンで手にしたに違いないと推理するわけ。】
モスグリーンの布張り装丁には、アーツ・アンド・クラフツのチューリップ & フォーリッジ インターレーシング パターンが綺麗です。 印刷元のチズウィック・プレスは、ウィリアム・モリスの初期デザインを世に知らしめたことで名を成して、イギリスにおける印刷の歴史に大きな足跡を残しました。 

また、挿絵を描いている Byam Shaw はヴィクトリアン後期からエドワーディアンの頃に活躍したラファエル前派からつらなる画家で、シェイクスピアの挿絵画家としても人気がありました。 1910年には Byam Shaw School of Arts を創立しています。 現在ではこのアート・スクールは芸術分野において世界でも有数なCentral Saint Martins の一部になっています。

本文および用語解説の本体部は123ページありますが、それ以外に巻頭部には挿絵とイントロダクションが十ページほどあって、その後に登場人物説明、そして本文にあたる第一幕が始まっていきます。 

写真四番目は第一幕の始まり部分で、合計五幕構成の各幕始めにはそれぞれに違っていて楽しめるちょっとした挿絵があります。 その他に写真五、六番目のような大きな挿絵が合計六ページあるのも嬉しいところです。 

最終幕の後に写真七番目のような挿絵と『The End』が見えます。 さらにその後に続いているのが、「Glossary
and Notes」の巻末用語解説で、七ページあって昔の用語について参考になります。 

英国BBC製作テレビシリーズの一つである『恋の骨折り損』 を手助けにして、ヴィクトリアン アンティーク本を読んでみるのも面白いと思います。 ユーチューブにアップされているので、手軽に利用可能です。 百年以上の古さを持ったアンティークなテキストは、ちょっと立派過ぎるかも知れませんが、英語シェイクスピアの鑑賞&学習、まずは形から入るやり方もありでしょう。 

関連記事:
【シェイクスピア英語原典の読み方(イギリスの学習参考書から眺めた英国における古典教育)】
ヴィクトリアン アール・ヌーボー シェイクスピア 『恋の骨折り損』 アーツ・アンド・クラフツ 布張り装丁 チズウィック・ プレス(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)ヴィクトリアン アール・ヌーボー シェイクスピア 『恋の骨折り損』 アーツ・アンド・クラフツ 布張り装丁 チズウィック・ プレス(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)ヴィクトリアン アール・ヌーボー シェイクスピア 『恋の骨折り損』 アーツ・アンド・クラフツ 布張り装丁 チズウィック・ プレス(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)



No.20038 革張りケース入り マザー オブ パール オペラグラス SOLD
伸ばした長さ 5.6cm、縮めた長さ 4.7cm、横幅 10.4cm、鏡筒部の最大外直径 3.8cm、対物レンズ直径 2.6cm、接眼レンズ直径 1.35cm、本体の重さ 155g、1900年前後の品、二万四千円 SOLD

マザーオブ パールという素材はミルクホワイトの輝きが内側からこぼれてくるようで、光に当たると見えてくるうっすらとした虹色の輝きが綺麗です。 

マザー オブ パールの品をお買い上げいただいたお客様から、次のようなお便りをいただきましたので、ご紹介させていただきます。
『取手の白蝶貝のうっすらとした輝きがとても綺麗です。 まるで、嵐が来る前の空のようだと思いました。 上空を凄い速さで白い雲が流れていく中、時折、空全体がぱあっと明るくなる様子を髣髴とさせます。』

イギリスは一日の中でもお天気の移り変わりが激しくて、さっきまで晴れていたかと思うと、一転してにわかに雲が天を覆うことも多く、お客様からの文章にあったような光景をしばしば目にいたします。 なるほどと、マザーオブパールをとてもよく形容しているように思いました。

マザー オブ パールのオペラグラスでかなりの芸術品と思います。 飾っておいても美しく、楽しめるアンティークなオペラグラスですが、ピント合わせの操作もスムーズで実用上もよい品です。 

写真二番目に見えるように、接眼部にもマザー オブ パールが入っていて綺麗です。

観劇の季節になれば、お手元にアンティーク オペラグラスがあると楽しみも増えましょう。 また、私は自然観察用にもオペラグラスを使っています。 ちょっと散歩に出ましても、フィールドではリスが忙しそうですし、野うさぎはのんびり草を食べています。 夕方になると昼間は森に隠れていた鹿も出てきます。 庭の桜の木に餌場があり、いつも野鳥やリスがやって来て賑わいます。 オペラグラスを使うと、やはり肉眼よりよほどよく見えて楽しくなるのです。

革張りケース入り マザー オブ パール オペラグラス(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)革張りケース入り マザー オブ パール オペラグラス(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20030 『お気に召すまま』 アーツ・アンド・クラフツ 布張り装丁 チズウィック・ プレス ヴィクトリアン シェイクスピア シリーズ SOLD
縦 15.4cm、横 10.4cm、厚さ 1.1cm、119ページ、重さ 147g、1899年 George Bell & Sons ロンドン、Chiswick Press 印刷、SOLD

【シェイクスピア英語原典の読み方(イギリスの学習参考書から眺めた英国における古典教育)】の解説記事をご参考ください。 シェイクスピアは劇なので、本から入るより映像からとっかっかるのが一番というのが私の考えです。 

『お気に召すまま』 アーツ・アンド・クラフツ装丁 チズウィック・ プレス ヴィクトリアン シェイクスピア シリーズ『お気に召すまま』 アーツ・アンド・クラフツ装丁 チズウィック・ プレス ヴィクトリアン シェイクスピア シリーズ


No. 20101 アンカー モチーフ ブラス ボタン
直径 2.3cm、重さ 4g、本体の最大厚み(留め具含まず) 5.5mm、留め具を含む最大厚み 1.15cm、ヴィクトリアン終り頃からエドワーディアン頃の英国製、一つ 八百円(六つあります。)

ロイヤルネービーのアンカー ブラスボタンです。 

モチーフとしてのアンカーにはかなり古い歴史があります。 世界史で習ったローマ時代のカタコンベには、クロスに見立てたアンカーがありました。 当時はキリスト教が国教となる以前のことで、アンカーをクロスの代用とすることで信仰を守る必要があった時代でした。

そうした背景があって、アンカーは初期のクリスチャンモチーフとなりました。 そしてアンカーのクロス的側面を重視する場合には、アンカーのことを「聖クレメントのクロス」とか、「マリナーズ(船乗りの)クロス」と呼びます。 さらに時代が下って、ヴィクトリアン後期からエドワーディアンの頃になると、イギリスではシーサイドリゾートが人気となり、マリンモチーフのファッション性が好まれました。 

クリスチャンモチーフとしてのアンカーには、クロスの代用という意味合いの他にも、「Hope(希望)」や「Steadfastness(しっかりしていること)」を表象する意味合いも含まれています。 あるいはまた、船が抜錨して次の目的地に向かうという連想から、「Fresh Start(新たな出発)」をシンボライズするモチーフともなっています。

アンカー モチーフ ブラス ボタン





No. 20003 英国製 ブラス オイルランプ
取っ手の先端までの高さ 29.5cm、本体の高さ 26cm、底面直径 12cm、重さ 1.6kg、ガラスの最大厚み 15 mm、英国製、二万八千円

英国製のブラス オイルランプです。 ガラス部分はドーナツを五つ重ねたようなフォルムで、真ん中辺りが最もふくらんだ構造です。 このあたりのガラスの厚みは1.5センチほどあると思いますが、この凸面状ガラスの厚みが、レンズの役割を果たしていて、実際に灯火をいれてみると、写真四番目のような効果を発揮します。

前面にあるつまみを回して、蓋を開けると、オイルタンクが取り出せます。 安定感は抜群で、どっしり、しっかり、質実剛健なランプと感じます。 英国製を示す「ENGLAND」の表示も見えています。

古い品ではありますが、今日でも実用可能な使えるアンティークです。 実際のところイギリスでは停電が起こることも稀ではないので、趣味で求めたアンティークランプを非常時の備えとされている方もあるのです。

私はアンティーク オイルランプのやわらかな灯火が好きなので、特に秋冬の夜長にはヴェスタマッチをシュッと擦っては、ランプに灯を入れるのが楽しみになっています。

燃料は灯油を使いますが、アウトドア用品店でランプ専用のオイルを買っても良いでしょう。 専用オイルの方が匂いやすすが少ないようです。

オイルランプは灯心を絞った方が、ほのかな灯火を眺めて落ち着いた気分に浸りやすいように思います。 

電灯もほとんどなかった時代、現代の暮らしからすると、想像するのも難しいのですが、夏目漱石の『琴のそら音』を読むと、そんな時代のアンティークな灯かり事情が見えてきて面白いです。

時代背景は日露戦争の頃と思いますが、アンティークな灯りについての記述が多くて、エドワーディアンの英国と重なる感じで、興味深く読みました。 物語ではいきなり最初の一行目から洋燈(ランプ)という言葉が出てきます。

「「珍らしいね、久しく来なかったじゃないか」と津田君が出過ぎた洋燈(ランプ)の穂を細めながら尋ねた。」

その他にも、いくつか灯りについての記述を抜き出してみました。 

「あるいは屋敷の門口に立ててある瓦斯燈ではないかと思ってみていると、」
「三分心の薄暗いランプを片手に奥から駆け出して来た婆さんが頓狂な声を張り上げて」
「天井に丸くランプの影が幽かに写る。見るとその丸い影が動いているようだ。」
「由公はランプのホヤを拭きながら真面目に質問する。」
「幽霊だの亡者だのって、そりゃ御前、昔しの事だあな。電気燈のつく今日そんなべら棒な話しがある訳がねえからな」

今日では電気や電灯が当たり前で、アンティークな昔を想像するのは難しいところがありますが、『琴のそら音』を読みますと、灯りについてノスタルジックな気分も味わえます。
ランプが身近な暮らしというのは、それほど昔のことではないのだなあと、あらためて思いました。 読後感も爽やかな短編小説です、よろしかったら、以下をご覧ください。

夏目漱石 『琴のそら音』 
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/1073_14944.html

こうしたアンティーク オイルランプを使いながら、その昔の時代に思いを馳せるのはアンティーク好きの楽しみであろうと思うのです。

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