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アンティーク シルバー ティースプーン (3)へ
あるお客様から、「バラ売りされているティースプーンはないでしょうか。ちがった年代、デザインを1本ずつ集めるのも楽しいのでは・・・」とお便りいただきました。
実は私も以前にティースプーンをちがった年代、デザインで1本ずつ集めるのも楽しいのではと思ったことがあったのです。 知り合いのアンティークディーラーのお宅にお邪魔してお茶をご馳走になった時、出てきたティースプーンが、プレーンなジョージアンスプーンでしたが、セットではなくちがった年代とデザインでした。 そのことでかえってスプーン一本一本を眺めたり、ホールマークを見比べたりと話が弾み、セットのティースプーンであったら出来なかったような会話を楽しむことが出来たのです。 この時、セットよりバラのアンティークの魅力を確かに感じたのですが、頭が固いと言いましょうか、英吉利物屋でティースプーンをご紹介するとなると、「ティースプーンはセットで」という先入観から抜け出せぬままに今日まで来てしまいました。 一方で仕入れの際に綺麗なティースプーンを一本見つけると、つい求めてしまうのですが、その後はサイトアップすることなくそのままになっていたのです。
お客様からのお便りでハッといたしました。 アンティークティースプーンをバラで集める魅力は確かにあるとあらためて思いました。 以下のコーナーでバラのティースプーンを少しずつご紹介していけたらと思います。
(下線付き太字の品物名をクリックいただくと、拡大写真とその他の説明写真がご覧いただけます。)
No. 20033 ハノーベリアン パターン with ラットテール スターリングシルバー ティースプーン 一部 SOLD
長さ 9.3cm、重さ 10g、最大幅 2.1cm、柄の最大幅 0.85cm、柄の最大厚み 2mm強、1962年 バーミンガム、Turner
& Simpson作、 (6本あります-->4本あります。)
今から半世紀以上前に作られたスターリングシルバー スプーンです。 小振りな銀でありますが、細身のフォルムから品のよさが感じられる銀製品です。
写真一番目に見えるように、ハンドル部分の中央部は山の稜線のように、まわりから盛り上がった作りになっています。 この銀の稜線構造によって、しろがねに映る光の反射に変化がもたらされ、シンプルな銀スプーンでありながら、ほどよいアクセントとなっています。 また、手にした時の銀の厚みにもつながる作りであって、好印象な銀製品と思いました。
よく見ていくと、ブリティッシュ シルバーウェアの長い伝統に裏打ちされた銀であると分かってきて、そんなところにも、興味を惹かれる英国ティースプーンであります。
柄先が少し手前に曲がったタイプで、これがハノーベリアンパターンと呼ばれます。 写真二番目でボール裏面を見ていただくと、先が細くなったネズミの尻尾のようなデザインになっており、これはラットテールと呼ばれる構造です。 ラットテールはハノーベリアン パターンに付随して現れることが多いデザインです。
ラットテールはハノーベリアン パターンと、それより以前のドッグノーズやトレフィッド パターンで見られる構造ですが、元々は柄とボールの接合部分を補強するために採用された手法でした。 スプーンの歴史を考えてみると、棒状の柄の先にボールを取り付けたスプーンという道具は、技術レベルが低かった初期段階においては、柄とボールの接合部から壊れることが多かったのです。
そこで考えられたのが、ラットテールという梁を付けて補強する方法でした。 そのうちに、素材の質や工作技術のレベルが向上してくると、ラットテールは実用上の必要性が薄くなってきましたが、今度は装飾的な観点から、ラットテールが採用されることも出てきました。
さらに後の時代になると、まさにこの写真のティースプーンがそれにあたるわけですが、昔風なラットテールはノスタルジーを感じさせてくれることから、時代が移り変わっていっても、時々に選好されたものと考えられます。
なお、イギリスにおけるスプーンパターンの歴史については、英国アンティーク情報欄にあります「4. イングリッシュ スプーン パターン」の解説記事もご参考ください。
ボール部分の裏面にはブリティッシュ ホールマークが、どれもしっかり深く刻印されているのもよいでしょう。 ホールマークは順にTurner
& Simpsonのメーカーズマーク、バーミンガム アセイオフィスのアンカー、スターリングシルバーを示すライオンパサント、そして1962年のデートレターになります。
写真の品が作られた1960年代は、英国に古きよきシルバースミスの伝統が残っていた最後の頃にあたっているように思います。
ヴィクトリアンやエドワーディアンが多い英吉利物屋の扱い品としては、比較的近年の銀になりますが、それでも半世紀を越える年月が経っております。 イギリスで古い銀製品を探していると、1960年代の品には思うように巡り会えないようです。 英国の停滞期と重なっていることが、その理由ではないかとみています。 英国シルバーの近現代史において中抜けした時期にあたっており、その意味でレアもの銀という範疇に入ろうかと思います。
これまでも大切に扱われてきたようですが、こうして半世紀が経ち、一世紀が経っていくのだろうなと見ております。 英国の伝統をよく踏まえた銀でありますが、そうでなくとも品のよいフォルムは十分に美しく、磨きぬかれたソリッドシルバーの輝きを楽しむのも、またよいのではと思わせてくれるシルバースプーンです。
お客様から、なるほどと思わせていただいた銀スプーンのお話がありますので、ご紹介させていただきましょう。
『先日北海道では珍しい大型台風が通過し、短時間ですが停電となってしまいました。 夜、仕方がないので古い灯油ランプを持ち出し屋内の照明としたのですが、以前手配いただいたティースプーンをランプの光にかざしてみたところ、ほの暗い明るさの中、スプーンのボウル内や彫刻の輝きにしばし見とれました。 銀のアンティークには点光源の古い照明が合うようです。 また昔の貴族が銀器を重用したのもうなずける気がします。』
私はアンティーク ランプ ファンで、早速に試してみたのですが、シルバーにアンティークランプの灯がほんのりと映って揺れているのを見ていると、なんだか心が落ち着くものでした。
もう一つ、銀のスプーンをお求めいただいたお客様からのご感想です。
『さて、実際に手に取ってみると、なかなか素敵な物です。銀だから価値があるというより、これだけの年月を経て、なおちょっとしたお手入れをするだけで、作られた当時とほとんど同じ状態で使い続けられるという点の価値はすごいと思います。まとめ買いした安いスプーンがいつの間にかどこかにいってしまったり、曲がったりすり減って黒くなり、何回も買い直していることを考えると、世代を超えて使われる銀器は節約の象徴のような気もしてきます。』
銀をお手入れしながら使っていくことの意味について、まさにわが意を得たりというコメントでありましたので、ご紹介させていただきました。
No. 19340 アール・デコ スターリングシルバー ティースプーン
with ピアストワーク *一部 SOLD
長さ 10.8cm、重さ 10g、ボール部分の最大幅 2.3cm、透かし柄の最大幅 1.3cm、1943年 バーミンガム (6本あります-->3本あります。)
今から70年ほど前に作られたスターリングシルバー ティースプーンで、アール・デコの直線的なデザインとピアストワークが特徴的です。 ボールの裏面にはメーカーズマーク、バーミンガム アセイオフィスのアンカーマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、そして1943年のデートレターが刻印されています。
この品が作られた1943年といえば第二次世界大戦中のことであり、タ際のところ当桙フイギリスはデザインやアートどころではなかったのですが、このティースプーンのデザイン的な背景としてはアール・デコの系譜上にあるものとみてよいでしょう。
一般に1920年代から30年代はアール・デコの時代と言われます。 ヴィクトリアンあるいはエドワーディアンの伝統的で凝ったシルバーデザインとは大きく異なる変更が、この時代にあったことは、とても興味深いと思います。 ある解説によれば、このデザイン上の大きな断絶を生み出した最大の要因は第一次大戦だったと言われています。 当桙フ人たちはヴィクトリアンとエドワーディアンの輝かしい伝統の延長上に世界大戦が起こったことに大きなショックを覚え、ポストワーの時代には、昔の時代から距離を置きたいと望む風潮が強く、そこにアール・デコがぴたりとはまったというわけです。
アール・デコについてはいろいろな説明がありますが、この解説はかなり言いえているように思います。 イギリスを隅々まで旅してみて、どんな小さな田ノの村にも、第一次大戦の戦没メを悼む記念碑が建っているのを知りました。 英国人の暮らしを根底から揺るがした出来魔ナあったことが想像されるのです。
そして時はくだって世界は再び戦争の惨禍に見舞われることになりました。 この品が作られた1943年は第二次大戦の最中になります。 英国は戦勝国とはなったものの、大変な時期であったことは間違いありません。 ロンドンはドイツから弾道ミサイルの攻撃を受けたり、爆撃機による空襲も頻繁にありました。 рフ住む町はロンドンの北の郊外で爆撃の目標にはならなかったようですが、近所のお年寄りの話では、ロンドンを空襲した帰りの爆撃機が、cった爆弾を燃料節約の為に翌ニしていくコースに当たっていて、怖かったとのこと。
とは言うものの、ハ真のようなピアストワークの素晴しい不要不急品を作っていたとは、当桙フイギリスは結構余裕もあったんだなあ、と思うのです。
ついでながら、戦争中のイギリスの余裕について、Air Raid Precautions スターリングシルバー バッジの説明記魔烽イ参考まで。
No. 20061 エドワーディアン スターリングシルバー トレフィッド パターン ティースプーン with コート オブ アームズ(紋章) SOLD
長さ 10.1cm、重さ 13g、最大幅 2.2cm、ボール部分の長さ 3.1cm、柄先の最大幅 1.35cm、柄の最大厚み 2mm、1904年
ロンドン、 (6本あります-->4本あります-->3本あります-->SOLD)
今から百十年以上前に作られた純銀製のエドワーディアン アンティーク シルバーティースプーンです。
柄の裏面に刻印されているブリティッシュ シルバー ホールマークは順にメーカーズマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、ロンドン レオパードヘッド、そして1904年のデートレターになります。
エドワーディアンの銀スプーンですが、そのフォルムはイギリスにおけるスプーンの歴史の中でもとくに古い17世紀トレフィッドパターンを踏襲しています。
Trefid pattern:1660年のチャールズ二世の復帰とともに、スプーンの柄先にある二つの刻み目(Two notches)を特徴とするトレフィッド パターンが流行しました。
羊あるいは山羊の紋章が彫られていて、紋章のモチーフとしては珍しいので、この百年以上前に作られたアンティーク 銀スプーンの背景に興味を惹かれます。 紋章デザインに採用される動物というのは、普通ですとライオンやドラゴンなど強い獣が多いものですが、羊毛業で栄えた家ならば羊もありなのかなと見ています。
小振りながらもしっかり出来た銀のスプーンです。 トレフィッド パターンと言うのも珍しく、この品を注文したオーナーの製作意図として、このパターンが流行った頃のイギリスは羊毛産業で潤った時代であったことと関係があるのかも知れないと思いました。
紋章の基礎知識について、少しお話しましょう。 一般に紋章はコート オブ アームズと言うのが正式です。 クレストという言葉もありますが、クレストとは紋章の天辺にある飾りを言います。 紋章の各部分の名称として、例えば英国王室の紋章の両サイドにいるライオンとユニコーンの部分をサポーターと言い、中央の盾状部分をシールドまたはエスカッシャンと言います。 さらに細かく言うと、写真のティースプーンに刻まれた紋章では下に棒状の飾りが見えますが、これはクレストの台座であって、リースと呼ばれます。
ただし、紋章のすべてを描いて使うのは、大掛かり過ぎるので、その一部をもって紋章とされることも多く、中紋章とか大紋章という言い方もあります。 しかし、その区別は厳密でないので、紋章の一部をもってコート オブ アームズという言い方をしても差し支えありません。
コート オブ アームズ(=紋章)を使っていた人々とは、どういう階層の人たちであったのか、考えてみました。
コート オブ アームズの体系化や研究は、イギリスにおいて九百年ほどの歴史を持っており、紋章学(Heraldry)は大学以上の高等教育で学ぶ歴史学の一分野となっています。 中世ヨーロッパにおいては、多くの国々に紋章を管理する国家機関がありました。 今ではなくなっているのが普通ですが、面白いことにイギリスでは紋章院がまだ活動を続けています。
今日のイギリスは品のよい国のように見られることが多いですが、その歴史を紐解きますと、節操のないことで名高い時代も長くありました。 キャプテン・ドレークは世界を航海して略奪をきわめて、当時の国家予算に匹敵するほどの金銀財宝を奪って帰ってきたので、エリザベス一世から叙勲を受けました。 お金がすべてという傾向は、紋章院においてもあったようです。
紋章学や紋章院の働きについて書かれた本が、『HERALDRY IN ENGLAND』(Anthony Wagner著、Penguin Books、1946年刊)です。
この本によりますと、紋章院が認めてきたコート オブ アームズは四万あるとのこと。
一方で英国の王侯貴族にあたる家柄は千足らずとなっています。
この数字のバランスから分かることは、第一にコート オブ アームズは王侯貴族だけのものではないこと。 第二に、そうは言っても、代々伝わるコートオブアームズがある家系は、英国の中でも数パーセントに過ぎず、その意味で日本における家紋とはだいぶ違っていること。
産業革命が進行して、新興富裕層が厚くなってきたのがヴィクトリア時代の初め頃になります。 当時の富裕層はコート オブ アームズを求めましたし、また求めれば手に入る性質のものであったようです。
No. 19037 スターリングシルバー ティースプーン 一部 SOLD
長さ 10.2cm、重さ 11g、ボール部分の長さ 3.6cm、最大幅 2.1cm、ボールの深さ 6mm、柄の最大幅 1.2cm、1915年 ロンドン、 (6本あります-->5本あります-->4本あります。)
綺麗な銀ですが、けっこう古い、デザインもなかなかよろしいですし、お薦めできるアンティークと思います。
ハ真二番目の見えるホールマークは順に、メーカーズマーク、1915年のデートレター、ロンドン アセイオフィスのレオパードヘッド、そしてスターリングシルバーを示すライオンパサントです。
英国でアンティークという言葉を厳密な意味で使うと、百年以上の時を経た品物を指します。 ハ真の銀スプーンが作られたのは1915年ですから、晴れて正式なアンティークに昇格した品であります。 気に入った古いものを使っていくうちに、その品が自分の手元で‘アンティーク’になっていくことは、コレクターの喜びとも言えますので、この品には、そんな楽しみ方もあるかと思うのです。
No. 18803 スターリングシルバー ティースプーン 一部 SOLD
長さ 10.1cm、重さ 9g、最大幅 2.1cm、柄の最大幅 1.05cm、1938年 シェフィールド アセイオフィス、Ethel Mary
Ventress作、 (3本あります-->2本あります-->1本あります。)
今から七十年以上前に作られたスターリングシルバー ティースプーンですが、おそらく未使用のまま今日に到っていると思われ、コンディション良好な銀のスプーンです。
ハ真O番目のホールマークは順に、メーカーズマーク、シェフィールド アセイオフィスの王冠マーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、そして1938年のデートレターになります。
メーカーズマークの「EV」は Ethel Mary Ventressというシルバースミスを示し、ティーストレーナーで有名なシルバースミスでありました。
No. 18798 スターリングシルバー ティースプーン 一部 SOLD
長さ 11.4cm、重さ 11g、ボール部分の最大幅 2.4cm、柄の最大幅 1.3cm、1928年 バーミンガム、 (8本あります-->6本あります)
スターリングシルバーのティースプーンです。 可愛らしいデザインと感じます。
柄先に向ってかなり幅広なつくりで、レリーフデザインがゴージャスに見えるところに特徴があります。 作られたのは今から八十五年前の1928年になりますので、しばらく使っていくと、節目の一世紀が見えている古さは、アンティークとしてポイントになりましょう。
きっちりと製作年が分かるのは、英国アンティークシルバーの良いところで、ハ真二番目でボール裏面に刻印されているブリティッシュ シルバー ホールマークを判読することで、作られたのが1928年だと分かります。 ホールマークは順にメーカーズマーク、バーミンガム アセイオフィスのアンカーマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、そして1928年のデートレターになります。
No. 18797 エドワーディアン スターリングシルバー ビーズパターン ティースプーン 一部 SOLD
長さ 10.4cm、重さ 11g、ボール部分の長さ 3.4cm、最大幅 2.15cm、ボールの深さ 5mm、柄の最大幅 0.9cm、1904年
シェフィールド、Henry Williamson Ltd作、 (6本あります-->5本あります-->4本あります。)
今から百年以上前のエドワーディアン シルバーで、一世紀以上の時を経たアンティークであることは、やはり特筆すべきポイントと言えましょう。
ビーズパターンのハンドルも個性があってグッドです。
ハ真二番目に見えるように、lつのシルバーホールマークがしっかり深く刻印されています。 ホールマークは順に1904年のデートレター、スターリングシルバーを示すライオンパサント、シェフィールド アセイオフィスの王冠マーク、そしてHenry
Williamson Ltdのメーカーズマークです。
シルバースミスのHenry Williamson Ltdは、ヴィクトリアン中期の1865年にヘンリー・ウィリアムソンが創業した銀工房です。 1895年には時計店を買福オて小売部門を拡張し、1899年に今度はファクトリーを買福オて製作部門を強化しています。 ヴィクトリア期の最後の頃には、シルバー部、シルバープレート部、ジュエリー部、梃v部、眼鏡部等を抱える大きなビジネスに成長していたようです。 1920年代には、英国Y業フェアやスペイン バルセロナのフェアに出展したりと活躍しましたが、1929年世界大恐慌のあおりを受けて店を閉じました。 この銀のティースプーンはエドワーディアンで1904年の製作ですから、H.
Williamson Ltdが最も勢いの盛んだった頃の品と言えそうです。
ハ真のアンティークが作られた時代はずいぶんと昔のことになります。 どんな時代であったのか、少し見てみましょう。 当桙フメインイベントは日露戦争でありました。 『中央新聞
1903年10・3日付』の「火中の栗」という風h画を見たことがあります。 コサック兵(露)の焼いている栗(満州)を、ジョンブル(英)に背中を押されて、日本が刀に手をかけて取りに行こうとしている風h画です。 1902年には日英同盟が結ばれています。 ロシアはシベリア鉄道の完成を急ぎ、大規模な地上軍が極東に向けて集結しつつあった当桙フ状況が描かれています。
開戦後の翌1904年には、こんどは世界j上の大海戦の行方に関心が集まっております。 バルト海、北海、大西洋、喜望峰を経て日本へ向かうロシアのバルチック艦隊の動きが注汲ウれ、当桙フイギリスでは日本海海戦の行方が大変な興味を持って見守られていたとの記録が残っています。
ロシアのバルチック艦隊は日本へ向けて航行中でした。 そして1904年10撃ノはイギリス沖合いの漁場ドッガーバンクで、漁船を日本の水雷艇と誤認したバルチック艦隊が、英国漁船砲撃膜盾ォ起こして、英国世論が激高する事態となっています。
日本に向かって戦争に行くロシア艦隊が、途中で英国漁船を何百発もの砲弾で打ち払って、間違いと分かった後には救助もせずに通り過ぎてしまったのですから、誰だって怒るだろうと思います。
当桙フ日本とイギリスは日英同盟を結んでおりましたが、ドッガーバンク膜盾_機にイギリス世論もおおいに日本に味方しました。 そしてイギリス政府によるバルチック艦隊の航海妨害などナイスアシストもあって、日本海海戦に向けて有利な展開となったのは幸いでした。
明治39年(1906年)には夏目漱石の『草枕』が出ております。 梠續w景はこのアンティークが使われていた頃とほぼ重なっております。 東京を離れた温泉宿で非人情の旅をする画工の話ですから、当桙フ社会情勢がメインテーマではありませんが、それでも、出征していく若者を見送ったり、日露戦争や現実社会の影が背景に見え隠れしています。 昔の時代に思いを馳せるアンティークな資料として、рフお気に入りの一つです。
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