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アンティーク シルバー スプーン、ティーポット、ティーストレーナー、トング、サーバー、フォーク、ティー関連(1)


No.20044 マッピン&ウェッブ シルバープレート ティー or コーヒー ポット
蓋のつまみまでの高さ 19.0cm、注ぎ口先端からハンドルまでの長さ 17.2cm、ボディの最大直径 9.8cm、重さ 512g、容量 1.5 Pint(=855ml)、Mappin & Webb作

古い品ではありますが、とてもコンディションがよろしくて、綺麗なまま現在に至っているところが嬉しいマッピン&ウェブのポットです。

容量は1.5パイントですから、イギリスで言えば中型サイズのポットになりましょう。 

実際に使ってみて、ポットのお湯残量が多い時でも少ない時でも、すっきり気持ちよくお湯切れします。 ハンドルには指かけもありますので扱いやすく出来ています。

蓋のつまみは取り外しが出来ます。 時々のクリーニングが容易に出来ましょう。 ヒンジがしっかりした作りであるところも、メーカーのよさを表しているように思います。

写真四番目に見えるように、裏面には 「1 1/2 PINT」の表示があり、これは容量を示しておりますが、英国風な Pint 表示となっています。 1と1/2パイントですから、570ml*1.5=855mlです。 他に「MAPPIN & WEBB」のメーカー名や、「LONDON & SHEFFILD」の文字などが見えています。

アンティークのポット一般に言えることですが、大きくて重たい品が多く、そこへさらにティー or コーヒーが入るとなると、重くて持つのが大変です。 このポットの容量ですと、英国アンティーク ポットとしては小振りから中程度の大きさになりますが、日本の急須の感覚から言えばそれでも十分に大きく、一人か二人で日常使いするにはちょうどよいサイズと思います。 「大は小を兼ねる」ということでお一人用、あるいは普通にはお二人用としてお使いいただけるでしょう。

ティーやコーヒーがお好きな方なら、書斎の机にこのポットを置いて、仕事や勉強をしながら毎日親しめるアンティークはいいものです。 可愛らしいアンティークで、日常使いに欠かせないポットになろうかと思います。

この品を作ったメーカーである 「Mappin & Webb」の名前に惹かれたこともあって求めました。 このティーポットを作った「Mappin & Webb」は言わずと知れた有名メーカーですが、その歴史は興味深いので、少し振り返って見ておきましょう。

マッピン関連のアンティークを扱っていると、「Mappin & Webb」とよく似た名前の「Mappin Brothers」というシルバースミスに出会うことがあります。
「Mappin Brothers」は1810年にジョセフ マッピンが創業した工房で、彼には四人の後継ぎ息子がありました。四人は上から順にフレデリック、エドワード、チャールズ、そしてジョンで、年長の者から順番に父親の見習いを勤めて成長し、1850年頃には引退した父ジョセフに代わって、四兄弟が工房を支えていました。

ところが末っ子のジョンは、工房の運営をめぐって次第に兄たちと意見が合わなくなり、ついに1859年には「Mappin Brothers」を辞めて独立し、「Mappin & Co」という銀工房を立ち上げました。 以後しばらくの間、「Mappin Brothers」と「Mappin & Co」は「元祖マッピン家」を主張しあって争うことになります。

しかし最初のうちは「Mappin Brothers」の方が勢力があったこともあり、1863年には末っ子ジョンの「Mappin & Co」は「Mappin & Webb」に改名することとなりました。 Webbというのはジョンのパートナーであったジョージ ウェブの名から来ています。

「元祖マッピン家」問題では遅れをとったジョンでしたが、兄たちよりも商売センスがあったようです。 スターリングシルバー製品以外に、シルバープレートの普及品にも力を入れ、目新しい趣向を凝らした品や新鮮なデザインの品を次々と打ち出し、しかも宣伝上手だったのです。 ヴィクトリアン後期には当時の新興階級の間でもっとも受け入れられるメーカーに成長し、それ以降のさらなる飛躍に向けて磐石な基盤が整いました。

20世紀に入ってからの「Mappin & Webb」は、「Walker & Hall」や「Goldsmiths & Silversmiths Co」といったライバルの有名メーカーを次々にその傘下に収めて大きくなり、今日に至っています。 また、「Mappin Brothers」ですが、時代の波に乗り切れなかったのか、1902年には「Mappin & Webb」に吸収されてしまっています。 ただ、その頃には三人にお兄さん達はとっくの昔に引退しており、後を継いだエドワードの息子さんも引退して、マッピン家のゆかりはいなかったようです。 そうこう考えると、ジョージアンの創業で、ヴィクトリア時代に二つに分かれたマッピンが、エドワーディアンに入ってまた一つの鞘に戻れたことはよかったのかなとも思うのです。

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マッピン&ウェッブ シルバープレート ティー or コーヒー ポット


No. 20032 アール・デコ 英国王ジョージ六世 戴冠記念 ピアストワーク シルバープレート 平型サーバー
長さ 25.9cm、重さ 67g、透かしブレードの最大幅 5.4cm、柄の最大幅 1.9cm、1937年 英国製

今から80年ほど前に作られたシルバープレート サーバーです。 透かし細工の美しさに加えて、柄に見られるアール・デコの直線的なデザインと、コロネーションの英国王室紋章に特筆すべき特徴があるアンティークです。

コンディション良好で綺麗な品ですが、作られたのは1937年であることが確認できます。 見たところの美しさに加えて、八十年前の作という古さも、このサーバーの大きな魅力になっていると思います。

柄先の裏面には英国王室の紋章と、「CORONATION 1937」の表示があります。 CORONATIONとは国王の戴冠式で、1937年にはジョージ六世の戴冠式典がありました。
当時の動画がありましたのでご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=foMe8YP4uFQ

国を挙げての祝賀ムードから記念のシルバープレート品が作られたことが、このアンティークの背景になっております。

紋章の細部を見てみましょう。 上部には王冠、左側には立ち姿のライオン、右側にはユニコーン(一角獣)がひかえています。 イギリスのアンティークに興味のある方なら、今後も見かけることがあるデザインと思いますので、この機会にその特徴を覚えておかれてもよいでしょう。 英国王室の紋章でありますが、広義にはイギリスを象徴するデザインともいえます。 例えば麹町の英国大使館に行かれたら、門柱辺りにもこのマークが付いているのが見られるでしょう。

ライオンは『ライオンハート(獅子心王)』の愛称で知られる12世紀の英国王リチャード一世時代からのエンブレムです。 リチャード一世は十年間の治世中に国内にいたのがたったの六ヶ月という王様で、海外での戦いに明け暮れた英国王でした。 戦いで名を馳せ、ライオンハートの称号を得て、その勇気と生きざまは騎士の模範とされています。

イギリス人のライオン好きは古くからの伝統なのだなあと分かります。 さらに、イギリス人のパブ好きは有名ですが、英国に数万件あるパブのうち、もっとも多い名前のパブが「Red Lion」であることも偶然ではないでしょう。 

現女王エリザベス二世の父君にあたるのが英国王ジョージ六世です。 「王位を賭けた恋」で有名なエドワード八世が劇的な退位を遂げた後に、急遽、英国王になったのがジョージ六世でした。 ご本人も自分が国王向きなパーソナリティーであるとは思っていなかったようで、それまでに国王になる準備がまったく出来ていなかったこともあって、初めのうちは周囲からも大丈夫だろうかと心配されました。 

ところがその後の対ドイツ戦争中に、側近たちがバッキンガム宮殿からの疎開を進言したのに、それを拒んで、爆撃を受けるロンドンから執務を続けたことで、国民の人気が上がりました。 戦争中のロンドンはしばしばドイツの爆撃機が来たり、さらにはV1やV2と呼ばれるミサイルまでもが飛んでくる危険な状況でありました。 そんな中でロンドンにあって英国民を鼓舞し続けたジョージ六世の評価が上がったのは当然と言えば当然でしたが、さらには王妃や子供たちを大切にする理想的な家庭の夫であったことも、「良き王」として英国民の尊敬を集める理由となったのでした。


アール・デコ 英国王ジョージ六世 戴冠記念 ピアストワーク シルバープレート 平型サーバー(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)アール・デコ 英国王ジョージ六世 戴冠記念 ピアストワーク シルバープレート 平型サーバー(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20210 ユリの花 モチーフ フレンチ アール・ヌーボー シルバー サービングスプーン with ゴールドギルト
長さ 16.4cm、重さ 34g、ボール部分の直径 5.4cm、深さ 0.9cm、柄先部分の最大幅 1.15cm、19世紀終り頃のフランス製

19世紀の終り頃に作られたフレンチ アール・ヌーボー アンティークになります。 フランス製シルバーであることを示すフレンチ シルバー ホールマークがしっかり深く刻印されていることはポイントです。

デザイン性の高いシルバー サービングスプーンで、全体にゴールドギルトが施してあります。 ボール部分の手彫りのエングレービングは、デフォルメされたユリの花 モチーフです。 いかにもなアール・ヌーボー デザインで、ゴールドギルトの装飾と合わせて、ゴージャスな雰囲気に仕上がっております。 

1838年に導入されたフランス製シルバーのスタンダードマークにはいくつかの種類があります。 大きめな銀には知恵と武勇の女神、ミネルバの横顔マークを、そして比較的小さな銀には「いのししの頭」あるいは「蟹」のマークが刻印されます。 また、大小ともに菱形のメーカーズマークを刻印するようにも定められています。 

このシルバーウェアは大きめな銀製品に分類され、ボール部分内側の柄元から右手には、ミネルバの横顔マークがしっかり深く刻印されています。 また、同じくボール部分内側の柄元から左手には、菱形のメーカーズマークが見えます。

フランス アンティークのシルバーウェアは華麗だけれども華奢な雰囲気の品も多いものですが、このジャムスプーンはしっかり出来ています。 柄先の透かし飾りの下は、断面が一辺 5.5ミリの正方形になったソリッドシルバーで、手にしてみると重厚な銀の質感が伝わってきます。 また、ボール部分も1ミリ弱の厚みがあることから、全体としてしっかり出来た印象の品になっています。 

上部の透かし飾りは、正方形の四頂点に対応した四本のブリッジで構成されており、珍しい細工と思います。 ボールはパラボラ状構造で、柄元からボールの先端に向かって三分の一ほど行った辺りが最も窪んだ形状になっています。

ユリの花 モチーフ フレンチ アール・ヌーボー シルバー サービングスプーン with ゴールドギルト


No. 20185 英国風 ギザギザ鋸(のこぎり)付 Mappin & Webb シルバープレート ケーキナイフ
長さ 27.3cm、重さ 103g、ブレードの最大幅 2.5cm、柄の最大幅 2.4cm、柄の最大厚み1.5cm 、鋸刃の最大幅 2mm、Mappin & Webb作

がっちり大きくて、かなり立派なケーキナイフです。 写真三番目に見えるように、ブレード部分には「TRUSTWORTY」、「MAPPIN & WEBB」、「SHEFFIELD」、「STAINLESS」とあります。

ナイフブレードとハンドルがユニタイズド構造になっています。 つまりは、しっかり溶接されていて繋ぎ目がない、一体構造となっているもので、これもさすがはマッピン&ウェブというポイントです。 

背の部分に付いた鋸刃の最大幅は2ミリほどあって、これはもう頑丈なる大工道具といった風情でありますが、これがいかにも英国風。

ブレードの背はギザギザと鋸(のこぎり)状になっています。 ケーキをサーブするのに、なぜ鋸かとも思いますが、イギリスのケーキは表面を砂糖の塊のようなアイシングで、こてこてに固めたケーキが多く、実際のところ切り分けには鋸が必要なのです。

このアイシングたっぷりのイギリス風ケーキというのは、うーん、ちょっとなあ というお味。 日本でこんなケーキが出てきたら、誰もがきっと絶句することでしょう。 しっとりとした普通のケーキとは似ても似つかぬ、水気もなくぱさぱさしたスポンジに砂糖の塊が数ミリの厚さで塗りつけてあるケーキ?です。

ところがもっと驚くのは、イギリスの子供たちは日本やフランス風のしっとりと美味しいケーキよりも、ぱさぱさごわごわのこうしたケーキがお気に入りなことです。 うちの娘の友達が集まるパーティーで、私が手作りケーキを作ってもあまり喜ばれません。 近くのスーパーマーケットで買ってきたようなアイシングたっぷりのケーキがいいのです。

このアンティーク ケーキナイフのギザギザした鋸を見ていると、ずっと昔のヴィクトリアンやエドワーディアンのケーキもきっと凄まじいものだったのだろうと思います。 百年以上の年月をかけて、ブリティッシュ トラディショナル ケーキの伝統がイギリスの子供たちにしっかり根付いているのでしょう。

アンティークをきっかけに、その国の文化や伝統について考えてみるのは楽しいことだと思います。 英国アンティーク情報欄の「27.ホールマーク漏れと英国人気質」解説記事もついでにご覧ください。

メーカーは言わずと知れた有名工房ですが、このシルバースミスの歴史をご紹介しましょう。

マッピン関連のアンティークを扱っていると、「Mappin & Webb」とよく似た名前の「Mappin Brothers」というシルバースミスに出会うことがあります。
「Mappin Brothers」は1810年にジョセフ マッピンが創業した工房で、彼には四人の後継ぎ息子がありました。四人は上から順にフレデリック、エドワード、チャールズ、そしてジョンで、年長の者から順番に父親の見習いを勤めて成長し、1850年頃には引退した父ジョセフに代わって、四兄弟が工房を支えていました。

ところが末っ子のジョンは、工房の運営をめぐって次第に兄たちと意見が合わなくなり、ついに1859年には「Mappin Brothers」を辞めて独立し、「Mappin & Co」という銀工房を立ち上げました。 以後しばらくの間、「Mappin Brothers」と「Mappin & Co」は「元祖マッピン家」を主張しあって争うことになります。

しかし最初のうちは「Mappin Brothers」の方が勢力があったこともあり、1863年には末っ子ジョンの「Mappin & Co」は「Mappin & Webb」に改名することとなりました。 Webbというのはジョンのパートナーであったジョージ ウェブの名から来ています。

「元祖マッピン家」問題では遅れをとったジョンでしたが、兄たちよりも商売センスがあったようです。 スターリングシルバー製品以外に、シルバープレートの普及品にも力を入れ、目新しい趣向を凝らした品や新鮮なデザインの品を次々と打ち出し、しかも宣伝上手だったのです。 ヴィクトリアン後期には当時の新興階級の間でもっとも受け入れられるメーカーに成長し、それ以降のさらなる飛躍に向けて磐石な基盤が整いました。

20世紀に入ってからの「Mappin & Webb」は、「Walker & Hall」や「Goldsmiths & Silversmiths Co」といったライバルの有名メーカーを次々にその傘下に収めて大きくなり、今日に至っています。 また、「Mappin Brothers」ですが、時代の波に乗り切れなかったのか、1902年には「Mappin & Webb」に吸収されてしまっています。 ただ、その頃には三人にお兄さん達はとっくの昔に引退しており、後を継いだエドワードの息子さんも引退して、マッピン家のゆかりはいなかったようです。 そうこう考えると、ジョージアンの創業で、ヴィクトリア時代に二つに分かれたマッピンが、エドワーディアンに入ってまた一つの鞘に戻れたことはよかったのかなとも思うのです。

シルバープレートウェアについては、アンティーク情報欄にあります「10.エルキントン社のシルバープレート技術と明治新政府の岩倉使節団」の解説記事もご参考ください。

英国風 ギザギザ鋸(のこぎり)付 Mappin & Webb シルバープレート ケーキナイフ (英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No.20183 ヴィクトリアン シルバープレート ディナーテーブル 飾り串
長さ 15.3cm、重さ 36g、飾り部分の最大横幅 4.5cm、飾り部分の最大厚み 6mm、ヴィクトリアン後期の英国製

珍しいシルバープレート ウェアをご紹介します。

ディナーテーブルに彩りを添える飾り串で、ヴィクトリアン後期の英国製です。

しっかりした作りで、とてもゴージャスな印象のヴィクトリアン アンティークです。

シルバープレートについては、アンティーク情報欄 「10.エルキントン社のシルバープレート技術と明治新政府の岩倉使節団」の解説記事もご参考ください。

ヴィクトリアン シルバープレート ディナーテーブル 飾り串(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No.20129 エドワーディアン イノベーション シルバープレート ブレッドフォーク
長さ 18.0cm、重さ 42g、最大横幅 4.8cm、1910年頃の英国製

ヴィクトリアンからエドワーディアンの頃のイギリスは大発明時代でありましたが、その頃の時代の気分がよく伝わってくるアンティークです。

エドワーディアンの発明品で、注射器のようにして、刺したパンが押し出せる仕組みです。

写真一番目はパンをさす前の状態です。写真二番目は注射器のように柄先部分を押し込むと、スライダーが前に動いて、パンを押し出す状況が見えています。

可動部のある百年以上前のアンティークが、完品状態で今に至っているもの、レアものアンティークと言ってよいでしょう。

英国パテントオフィスのレジスター番号から1910年代の作と分かるのも、このアンティークの優れた特長になっています。

ヴィクトリア女王は若干18歳で英国王になりました、それから1901年までの64年間がヴィクトリア時代です。 彼女が国王になった時、彼女自身も、また多くの英国民も、その後のこの国の大発展を予期していなかったろうと言われています。 しかし実際にはヴィクトリア女王の治世に、英国は大いに伸長し、世界史上これまでなかった規模の大帝国となりました。

テクノロジーの面でもヴィクトリアンからエドワーディアンの頃は大発明時代で、今見ても驚くような立派な発明から、笑ってしまうような発明までいろいろあって、この時代のダイナミックさには大きな魅力があるのです。 「Victoriana」というアンティーク分野があるのも、さもありなんです。 

イギリス社会がまだ若く、世の中に活気があったためでしょう、ヴィクトリアンからエドワーディアンの頃の英国は、発明や工夫が大いに振興した時代でありました。 写真のように一工夫効いた物品がもてはやされた当時の時代状況が見えてきて、興味深いアンティークと思います。

エドワーディアン イノベーション シルバープレート ブレッドフォーク


No. 20141 デンマーク シルバーサーバー with インターレーシング ドラコンタイン ピアストワーク
長さ 25.5㎝、重さ 101g、ボール部分の直径 7.8cm、ボールの深さ 1.2cm、柄の最大幅 2.9cm、ねじれ柄の最大厚み 7.5mm、デンマーク製、1903年 コペンハーゲン

勇者ペルセウスがアンドロメダ姫を助けた時の悪役はドラゴンでした。St.Georgeは王様の娘をドラゴンから救ってキリスト教世界の伝説となりました。ギリシャ神話やキリスト教文化圏でのドラゴンの立ち位置が分かります。

ところが西欧の土着の人たち、例えばケルト諸族やバイキングにとっては、ドラゴンは最高のポジティブイメージ。大昔のケルト人にとってはドラゴンは種族の象徴であり、最高の意味合いがありました。

そして今でもケルトの末裔たるウェールズ国旗は赤いドラゴンです。写真は1903年にヴァイキングの国デンマークで作られた銀製サーバーです。そこで表現されているのは、ヴァイキング達のお気に入り、やはりドラゴンなのです。

百グラムを超える持ちはかりがあって、重厚な銀のサーバーです。

1)百年以上前に作られたシルバー アンティーク。
2)柄先に見られるメインモチーフが、インターレーシング ドラコンタインのピアストワーク。
3)ボール部分にたくさんのケルティック スパイラル。

以上を考え合わせると、北欧アンティークの代表格と言ってよいシルバーサーバーと思います。 写真四番目に見えるように、柄の裏面にはメーカーズマークと、デンマーク製シルバーを示すステートマークである「コペンハーゲンのスリータワー」が刻印されています。 また、全体がゴールドでギルティングされているのも豪華です。 

曲線の交差模様はインターレーシング模様と呼ばれケルティック アートでしばしば登場するパターンです。 写真二番目をよく見るとドラゴンがインターレーシング模様を形作っています、この生き物はDracontineと呼ばれ、これもケルティック アートやヴァイキング アートでしばしば登場するモチーフです。

西洋の神話においてはドラゴンは破壊的な悪い生き物として描かれることが多いのですが、大昔のケルト人にとってはドラゴンは種族の象徴であり、最高の意味合いがありました。

このインターレーシング ドラコンタイン模様は、もともとは大昔のケルティックアートに起源を持ちますが、19世紀になってからコペンハーゲンのBorgen や Christensenなどのジュエラーによってヴァイキング スタイルとしてリバイバルされ、人気を集めました。

ボール部分にはスパイラル パターンがたくさん見られます。 「Spiral=渦巻き、螺旋」というのは、とても重要なケルティックモチーフで、渦巻きは太陽を象徴し、そこからGrowth(成長)、Expansion(拡大)、Energy(活力)の意味合いが導かれます。 

ちなみに、英国においても19世紀にケルティック リバイバルが盛んになりましたが、その大御所であるウィリアム モリスは当初ヴァイキング アートに関心を持って、北欧中世の散文物語である「サガ」等も読み進むうちに、ケルティック アート全般への興味が高まっていったようです。

英国におけるケルティック デザインはヴィクトリア期にケルティック リバイバルという形で見なおされて、その後アーツ&クラフツの流れの中でも脚光を浴びて今日に至っています。

デンマーク シルバーサーバー with インターレーシング ドラコンタイン ピアストワーク(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)デンマーク シルバーサーバー with インターレーシング ドラコンタイン ピアストワーク(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20063 シルバープレート エッグスタンド セット
エッグカップの高さ 6.9cm、開口部の直径 4.1cm、一つの重さ 46g

シルバープレート エッグスタンド四つのセットです。

写真四番目に見えるように、スパイクにおさまるので、四つのカップがきっちり固定されて、揺さぶっても大丈夫、オリエント急行のような食堂車でもOKです。 

デイビット・スーシェ 主演のポワロシリーズ 『オリエント急行殺人事件』を見ていましたら、エッグスタンドが登場するシーンがありました。 食堂車でポワロが「半熟タマゴを二つお願いします。きっかり同じサイズのタマゴをね。」と注文する場面です。 二つのエッグスタンドにセットされて運ばれてきた半熟タマゴの高さを測ってみるポワロの几帳面さが現れるシーンでありました。 こういう状況でも使えるエッグスタンドかなと思って見ております。


スプーンを掛けるところがありますが、スプーンは付属しておりませんので、お手元のスプーンを合わせてください。

あるいは、このセットによく合うシルバースプーンがあったので、付けてみました。
No. 20132 スターリングシルバー ティースプーン 4本セット
長さ 10.7cm、重さ 11g、ボール部分の最大幅 2.1cm、Josiah Williams & Co Ltd作、1935年 ロンドン アセイオフィス、4本で一万六千円

エッグカップセットと銀スプーン4本をまとめてお求めいただく場合は、28000円→24000円とさせていただきます。

以下も、ご参考まで。
https://ameblo.jp/igirisumonya/entry-12342383262.html

シルバープレート エッグスタンド セット(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)シルバープレート エッグスタンド セット(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)




No.20129 エドワーディアン イノベーション シルバープレート ブレッドフォーク
長さ 18.0cm、重さ 42g、最大横幅 4.8cm、1910年頃の英国製

ヴィクトリアンからエドワーディアンの頃のイギリスは大発明時代でありましたが、その頃の時代の気分がよく伝わってくるアンティークです。

エドワーディアンの発明品で、注射器のようにして、刺したパンが押し出せる仕組みです。

写真一番目はパンをさす前の状態です。写真二番目は注射器のように柄先部分を押し込むと、スライダーが前に動いて、パンを押し出す状況が見えています。

可動部のある百年以上前のアンティークが、完品状態で今に至っているもの、レアものアンティークと言ってよいでしょう。

英国パテントオフィスのレジスター番号から1910年代の作と分かるのも、このアンティークの優れた特長になっています。

エドワーディアン イノベーション シルバープレート ブレッドフォーク





No. 20126 スターリングシルバー ペーパーナイフ with マザー オブ パール ハンドル SOLD
長さ 17.4cm、重さ 27g、柄の最大幅 1.3cm、マザー オブ パール柄の最大厚み 0.7cm、1926年 シェフィールド、James Dixon & Son作、SOLD



No. 20070 エルキントン シルバープレート ポット
高さ 19.0cm、重さ 540g、最大横幅 8.3cm、ハンドルの先から注ぎ口までの長さ 19.1cm、容量 1.25パイント=712ml、エルキントン作、SOLD

コンディション良好なエルキントン シルバープレート ポットです。 容量は目一杯で1.5パイント入りますが、少し余裕をみて1.25パイント=712mlあたりで使うのが適当でありましょう。

なんといっても、英国シルバープレート品にあって、エルキントンはビックネームなので、贔屓目もあるかも知れませんが、底面のメーカーズマークは格調高く、やはりシルバープレートの仕上がりもよいですし、メーカーのよさを感じます。 

写真五番目の底面で一番上に見えるのが、エルキントンのメーカーズマークです。 楯状刻印の中に「E & Co」とあって、これがエルキントンのメーカーズマークになります。 その下に見えるのが、「SILVER PLATED」の刻印です。 さらに「ENGLAND」の表示もあります。


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エルキントン シルバープレート ポット(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20107 ヴィクトリアン スターリングシルバー シュガートング with ピアストワーク&フェザーエッジ
長さ 9.4cm、重さ 23g、つまみの間隔 1.95cm、透かし柄の最大幅 1.3cm、透かし柄の最大厚み 1mm強、1898年 ロンドン

今から百二十年ほど前に作られたヴィクトリアン スターリングシルバー シュガートングです。 ヴィクトリア時代の終り頃にあたる1898年に作られており、その古さはやはりアンティークとして魅力になりましょう。 透かし細工の美しさに加えて、シェルのモチーフ性や、フェザーエッジの技法もポイントになっています。

ピアストワークは手間のかかったハンドワークで、切面には糸鋸を使ったギザギザ跡が残っています。 ルーペを使って詳細に調べてみると、糸鋸を引いた跡も繊細で、細工のよい品であることが分かります。 手仕事で糸鋸を引いていくのですから、職人さんの優れた技術と多くの時間がかかります。 

現代のシルバースミスの方からお聞きしたことがありますが、作業にかなりの時間を要するこうした透かし細工は、現代の労働コストが上昇した英国では、大変なお金がかかり、もはや出来ないとのことでした。 そして、そもそもこれだけの技術を持った職人さんが現代ではいなくなっているのです。 

アンティークの楽しみの一つは、現代の品では到底望めないような素晴らしい手仕事の品に、時に出会えることだと思います。 今から百二十年ほど前に作られた写真の銀トングにはアンティークでしか手に入らない美しさが備わっており、丁寧なハンドワークの細工の良さそのものも、年月の経過を語っています。

トングの先に見えるシェルのデザインも特徴的です。 このシェルパターンは、12世紀にスペインの聖地 St.ジェイムス オブ コンポステラへ向かう巡礼者たちが、彼の紋章であったシェルを身につけて旅したことから、クリスチャンシンボルとして、シェルが取り入れられていったのが始まりです。 15世紀以降はセラミックスやシルバーの分野で、このシェルモチーフが繰り返し取り上げられて今日に至っています。

フェザーエッジの歴史は古く、イギリスのシルバーウェア史に現れたのは、今から二世紀半ほど前になります。 より具体的には、この装飾的なフェザーエッジの技法が初めて登場したのは1770年代のことでしたが、それは良質の鋼(はがね)が生産可能となってエングレービングツールの性能が向上したことによります。

似たような装飾技法にブライトカットがあり、フェザーエッジはブライトカットの派生系と言われます。 しかし、二つは歴史的にほぼ同時期に作られ始めていることから、二つの技法の関係は派生関係というよりも、兄弟姉妹の関係に近いとも考えられます。 

ブライトカットは、ファセット(彫刻切面)に異なった角度をつけていくことによって、反射光が様々な方向に向かうようにした彫刻技法です。 ファセットは平面状で一種類、それを互い違いに角度を変えて彫っていきます。 

フェザーエッジはU字谷とV字谷を隣合わせに彫っていく手法です。 V字谷のファセットは平面で向かい合う二面の角度が違っているところはブライトカットに似ています。 加えてU字谷のファセットは凹面状なので、当然ながらその反射光も様々な方向に向かいます。 V字谷のシャープな反射光に対して、U字谷の反射光は穏やかな感じで、二種類の輝きのコントラストに特徴があります。

一本の彫刻刀で作業を行うブライトカットに対して、フェザーエッジではU字とV字の二種類の彫刻刀を使いますので、その意味でブライトカットの進化系あるいは派生系がフェザーエッジと言われるのかも知れません。

クイーン・ヴィクトリアが若干18歳の若さで英国王位を継承したのは1837年のことで、この年から1900年までの64年間がヴィクトリア時代にあたります。 ヴィクトリア女王は在位期間が長かったことと、その時代は英国の国力が格段に伸張した時期と重なっていた為に、イギリス史の中でも特にポピュラーな国王となりました。 アンティークの分野にあっても、この時代の物品を指すヴィクトリアーナ(Victoriana)という用語もあって、ヴィクトリア時代を専門とするコレクタターが大勢いるわけなのです。


内側には四つのブリティッシュ ホールマークがしっかり深く刻印されているのもこの品のよい特徴です。 ホールマークは順に「William Hutton & Sons Ltd」のメーカーズマーク、ロンドン レオパードヘッド、スターリングシルバーを示すライオンパサント、そして1898年のデートレターとなります。

「William Hutton & Sons Ltd」は1800年ちょうどにWilliam Huttonが始めた歴史のある銀工房です。 息子から孫へと家族経営が続き、まわりのシルバースミスを吸収合併しながら、次第に有力メーカーの一つに成長していきました。 そして、ヴィクトリアン後期には、Herbert, Robert, Edwardの三人の孫たちが共同パートナーとなって銀工房が運営されておりました。

末っ子のEdwardには、最も芸術センスがあったのか、本体である「William Hutton & Sons Ltd」のメーカーズマークの他に、独自のメーカーズマークである「EH」刻印の作品が今に残っています。

おそらく、二人の兄たちはファミリービジネスの規模を拡大するという経営面に、より長けていて、末っ子のEdwardは経営より銀そのものに関心が高い人だったのではないかと思うのです。

「William Hutton & Sons Ltd」のメーカーズマークは縦横に並んだ文字配列が特徴的なので、一度でも見れば記憶に残ることでしょう。 楕円形のメーカーズマーク中央に位置する大きなHの文字がマークを四つの領域に分割し、それぞれにW、&、Ss、LDの文字が配された凝った作りのメーカーズマークになっています。

この品が作られたヴィクトリア時代の背景については、以下もご参考ください。

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ヴィクトリアン スターリングシルバー シュガートング with ピアストワーク フェザーエッジ(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20105 ラッキー シリング 銀貨 ヴィクトリアン スプーン
長さ 8.4cm、最大幅 2.25cm、ボールの深さ 5mm、重さ 12g、シリング銀貨の鋳造年 1896年

『裸の王様』、『みにくいアヒルの子』、『人魚姫』などで有名なアンデルセンの作品の中に、19世紀半ばに書かれた『シリング銀貨』というおとぎ話があります。 外国旅行に出かけた英国紳士の財布にあった一枚のシリング銀貨が、異国の地で財布からこぼれてしまい、いろいろな人たちを巡りめぐって、最後には元々の持ち主であった英国紳士のもとに戻ってくるというストーリーです。 

物語の中で、シリング銀貨に穴をあけて糸を通し「Lucky Shilling」として身に着けるという話が出てきます。 シリング銀貨は大き過ぎず、小さ過ぎず、ペンダントヘッドにちょうど良いサイズであることと、シルバーという素材は幸福に通じることから、遠いヴィクトリアンの時代よりラッキーシリングとして好まれてきた背景があるようです。 

アンデルセンのおとぎ話 『シリング銀貨』にもあるように、シリング銀貨はラッキーアイテムとして好まれてきました。 写真のようなアンティークが作られた背景が分かって興味深いので、岩波文庫にありますアンデルセン童話集も合わせて読んでみてください。

シリング銀貨の中央をグーッと押して、パラボラ状にしてあります。 グッドラックなアンティークで、小振りでユーモラスなフォルムにも惹かれました。 

そのサイズやフォルムからみて、七味唐辛子などすくう薬味匙にしたり、ティーキャディー スプーンとしたらよさそうです。 毎日のお茶をラッキーシリングでサーブすれば、なんだかいいことがありそうです。 

表に描かれているのはヴィクトリア女王の横顔です。 女王の若かりし頃はナショナル ポートレートギャラリーにある肖像画でご覧いただけるのですが、以下に写真がありますのでご参考まで。

クイーン ヴィクトリアが若干18歳の若さで英国王位を継承したのは1837年のことで、この年から1900年までの64年間がヴィクトリア時代にあたります。 ヴィクトリア女王は在位期間が長かったことと、その時代は英国の国力が格段に伸張した時期と重なっていた為に、イギリス史の中でも特にポピュラーな国王となりました。 アンティークの分野にあっても、この時代の物品を指すヴィクトリアーナ(Victoriana)という用語もあって、ヴィクトリア時代を専門とするコレクタターが大勢いるわけなのです。

裏面にはヴィクトリア女王時代に好まれたシールドリバースのデザインに採用されています。 描かれているのは、右上にライオンの立ち姿でライオンランパント、下にはハープクラウンド、そして三頭のライオンは『ライオンハート(獅子心王)』の愛称で知られる12世紀の英国王リチャード一世時代からのエンブレムです。 銀貨の下部には1896年の数字が見えます。

余談ですが、リチャード一世は十年間の治世中に国内にいたのがたったの六ヶ月という王様で、海外での戦いに明け暮れた英国王でした。 戦いで名を馳せ、ライオンハートの称号を得て、その勇気と生きざまは騎士の模範とされています。 そして現代ではサッカーのイングランド代表が使うエンブレムが、まさにこのスリーライオンなのです。

最後に、イギリスの昔のお金についてですが、1ポンド=20シリング=240ペンスなので、「1シリング」=「12ペンス」になります。 ポンド、シリング、ペンスと三つの単位を持っていた英国の旧通貨単位はなんだかとても複雑で、十二進法が混じっているので計算するのも億劫です。
昔、サマセット・モームの「月と六ペンス」の題名を初めて見た時に、なぜ六ペンスなのかと思ったものですが、十二進法の通貨単位では、ちょうどきりがよい数字でもあるのです。
1971年になってようやく旧通貨制度が廃止され、1ポンド=100ペンスのすっきりした十進法の制度に代わって現代に至っています。 

この十二進法時代の名残が、今日の英国人の暮らしにまだ残っていることに、気が付きました。 娘が通ったイギリスの小学校では、掛け算の九九のことを「Times Table」と呼んで、低学年の子供たちは日本と同じように暗唱するまで練習します。 ところが日本と違うのは「一の段」から始まる九九が「九の段」で終わらないのです。 イギリスの九九は12*12まで覚えます。 日本の九九は81通りですが、英国の九九は12*12=144通りです。 今日の十進法の暮らしなら「十一の段」や「十二の段」は不要なはずですが、ずいぶん昔の名残が未だに残っていて、先生たちも「十二の段」まで教えないと落ち着かないのでしょう。

このややこしい12進法の呪縛をイギリス人にかけたのは、一千年近く前にイングランドを征服してノルマン王朝を開いた、元々はフランス貴族のノルマンディー公ウィリアム(=ウィリアム一世)だったことが知られています。 彼がやってくる前のサクソン時代のイングランドでは、「1シリング」=「5ペンス」だったものを、この新しい征服者が「1シリング」=「12ペンス」にせよと定めたのでした。 そしてその後、お金の単位については1971年までウィリアム一世の定めが守られてきたわけで、そしてまた、今でも21世紀の子供たちが「十二の段の九九」を習っているわけなのです。

ラッキー シリング 銀貨 ヴィクトリアン スプーン(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)ラッキー シリング 銀貨 ヴィクトリアン スプーン(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No.20096 ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ティースプーン
長さ 13.4cm、重さ 12g、ボール部分の長さ 4.3cm、最大横幅 2.6cm、ボールの深さ 0.6cm、柄の最大幅 1.25cm、1798年 ロンドン、Samuel Godbehere & Edward Wigan作

このスターリングシルバー ティースプーンは、今から220年前の1798年作で、世界史で言えばフランス革命の頃にあたりますので、英吉利物屋の扱い品でもかなり古い品になります。

二世紀以上前にはティースプーンとして使われた品ですが、全長が13.4センチにボール部分の長さが4.3センチもあり、現代的な感覚からはティースプーンとしてはかなり大きいので、デザートスプーンやジャムスプーンとしてもお使いいただけるでしょう。 また、実際にお茶の席でティースプーンとして見かけると、その存在感が印象的で、裏面のブリティッシュホールマークとあわせて、珍しくて話題性のあるアンティークとなります。

写真二番目に見えるホールマークは順に、Samuel Godbehere & Edward Wiganのメーカーズマーク、ジョージ三世の横顔でデュティーマーク、1798年のデートレター、そしてスターリングシルバーを示すライオンパサントになります。メーカーズマークはその一部が見えているものですが、複数本のセットであることから、Samuel Godbehere & Edward Wiganと確定できます。

二十一世紀に入り2018年ともなった今日から振り返ると、1900年代の品でもなく、1800年代の品でもない、1798年に作られているのは、やはり飛び切り古いアンティークという気がします。 そして、博物館に飾られるようなアンティークシルバーはいざ知らず、私たちが収集していけるアンティークシルバーウェアとしては、その出現頻度には1780年辺りにボーダーラインがありますので、その意味でも写真の銀スプーンの古さは一級品といえましょう。

英国の歴史は比較的安定していたことが特徴で、隣国フランスのように大きな革命や動乱を経験せずに今日に至っており、そのおかげもあってイギリスにはアンティークのシルバーが多く残っているとも言えます。 しかし、この銀のスプーンが作られた時代は、イギリスにおいてもかなり世の中が荒れて、政治が混乱した時代でした。 

一つには産業革命の影響で英国社会に大きな変化が起こりつつあって、ロンドンでは打ち壊しのような民衆暴動が頻発していたことがあり、二つには国王ジョージ三世がアメリカ植民地経営に失敗してアメリカ独立戦争を招いたことなどが混乱に拍車をかけました。 

18世紀後半にロンドンで起こったゴードン暴動では死者が五百人を超える惨事となって革命一歩手前だったようです。 さらに加えて海外からの不安定要因がイギリスを脅かし始めます。 1789年に始まったフランス革命は次第に先鋭化していって、ついに1793年には国王を処刑してしまうまでになりました。 このティースプーンが使われていた頃というのは、おっかなびっくり隣国フランスの様子を窺いながら、当時のイギリスはいつ対岸の火事が飛び火してくるか、ひやひやものでありました。 もし英国史がそのコースを少し外していたら、このスプーンを今こうして見ることもなかったかもしれない、などと思ってみたりもするのです。

それから、柄先にホールマークを刻印することをトップマーキングと言いますが、1800年前後にロンドンで作られたティースプーン等の小物シルバーウェアのトップマーキングにおいては、ロンドン レオパード ヘッドの刻印を省略することが当時流行っていました。 このティースプーンにもロンドン アセイオフィス マークがありませんが、同時期に作られたロンドン物ではよく見かける傾向なのです。 おそらくロンドン中心思考がこうした習慣を生んだと思われますが、1830年ぐらいから以降は改まりきっちり刻印されるようになっていきます。

ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ティースプーン(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ティースプーン(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No.20095 ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ティースプーン SOLD
長さ 13.4cm、重さ 12g、ボール部分の長さ 4.3cm、最大横幅 2.5cm、ボールの深さ 0.6cm、柄の最大幅 1.25cm、1798年 ロンドン、Samuel Godbehere & Edward Wigan作、 SOLD
ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ティースプーン(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ティースプーン(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20088 アザミ モチーフ スターリングシルバー ジャムスプーン with ピアストワーク SOLD
長さ 12.3cm、重さ 14g、ボール部分の最大幅 3.0cm、透かし柄の最大幅 1.25cm、1930年 シェフィールド アセイオフィス、SOLD

アザミ モチーフ スターリングシルバー ジャムスプーン(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)


No. 20016 スターリングシルバー サラダ サーバー with ピアストワーク
長さ 21.4cm、重さ 54g、ボール部分の長さ 7.7cm、最大幅 4.6cm、深さ 1.2cm、柄の最大幅 2.8cm、柄の最大厚み 2.5mm、1943年 バーミンガム

今から七十年以上前に作られたスターリングシルバーのサービングスプーンで、元々サイズの大きなシルバーですが、透かし柄部分も大きめで、迫力のある仕上がりになっています。 柄元の方は最大で2.5ミリほどの厚みがあります。 ピアストワークが施されたあたりも2ミリ弱の厚みがあって、透かしを切り出していく作業には時間と労力がかかったと思います。 

ピアストワークは手仕事で、糸鋸を引いたギザギザ跡が残っています。 ルーペを使って詳細に調べてみると、糸鋸を引いた跡も繊細で、細工のよい品であることが分かります。 手仕事で糸鋸を引いていくのですから、職人さんの優れた技術と多くの時間がかかります。 

現代のシルバースミスの方からお聞きしたことがありますが、作業にかなりの時間を要するこうした透かし細工は、現代の労働コストが上昇した英国では、大変なお金がかかり、もはや出来ないとのことでした。 そして、そもそもこれだけの技術を持った職人さんが現代ではいなくなっているのです。 

写真三番目に見えるように、柄の裏面にはブリティッシュ ホールマークがしっかり深く刻印されているのもよいでしょう。 ホールマークは順にメーカーズマーク、バーミンガム アセイオフィスのアンカーマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、そして1943年のデートレターになります。

写真のタイプのシルバーウェアのことを、イギリスではサラダ サーバーと呼ばれます。 英国アンティーク シルバーウェアの参考書に記述があったので、写真四番目でご紹介しています。

サラダ サーバーは1750年頃からイギリスで作られるようになりました。 写真四番目で右側に見えているのは、18世紀後半 ジョージ三世の頃のオールドイングリッシュ パターン サラダサーバーです。 写真左側に見えるのはやはりオールド イングリッシュ パターンのサラダサーバーで、こちらは19世紀の作になります。

この品が作られた1943年は第二次大戦の最中になります。 英国は戦勝国とはなったものの、大変な時期であったことは間違いありません。 ロンドンはドイツから弾道ミサイルの攻撃を受けたり、爆撃機による空襲も頻繁にありました。 私の住む町はロンドンの北の郊外で爆撃の目標にはならなかったようですが、近所のお年寄りの話では、ロンドンを空襲した帰りの爆撃機が、残った爆弾を燃料節約の為に落としていくコースに当たっていて、怖かったとのこと。 

とは言うものの、写真のようなピアストワークの素晴しい不要不急品を作っていたとは、当時のイギリスは結構余裕もあったんだなあ、と思うのです。

スターリングシルバー サラダ サーバー with ピアストワーク


No. 20007 バラの花 デザイン シルバー サーバー
長さ 17.4cm、重さ 40g、最大横幅 4.1cm、ブレードの長さ 6.8cm、柄の最大幅 2.0cm、スウェーデン製

重さが40グラムの銀ですから、手にしてみると、銀の質感が心地よく感じられます。 見たところは、かなりゴージャスなサーバーでありますが、このように銀の重さに裏打ちされた豪華さは、なおグッドです。

ピアストワークのバラの花に持ち手もバラで、モチーフのよさに惹かれて求めました。 ブレード幅が大きめなので、いろいろな用途に使えそうで、持ちはかりがあってしっかりした感じの品と思います。 柄の裏面には、お団子形状の「三つの王冠」と「S」の刻印があり、これはスウェーデン製シルバーウェアのステートマークです。

英吉利物屋では英国スターリングシルバーを扱うことが多いので、シルバーウェアの銀純度と言うと925がスタンダードのように感じるものですが、欧州諸国の銀製品を見渡すと、各国それぞれで統一された標準はないというのが実情となっています。 

各国の銀純度の標準については、欧州諸国それぞれ歴史的背景から異なっています。 例えば、英国92.5%、スウェーデン銀83%、デンマーク銀82.6%、フランス銀95%と80%、ドイツ銀80%、スペイン銀75%というように。 さらには、同じ国であっても、昔はローカルな地域経済圏に銀のアセイ権限も委ねられていたことから、歴史的かつ地域的にいろいろなスタンダードが並存している場合も多くあります。

余談ながら、英国のホールマーク制度は、その歴史の長さ、制度の継続性、シルバースミスへの徹底の度合い等で優れておりますが、これは英国人の国民性によるところが大きいように思います。博物学を発展させてきたイギリス人は、物事を整理分類するのが大好きで、500年以上にわたりホールマーク制度を維持し発展させてきました。

写真のシルバーサーバーについては、スウェーデン製シルバーウェアのステートマークが刻印されていて、銀純度は830=83%になっています。

バラの花 デザイン シルバー サーバー


No. 20004 ティー サーヴィス 五点 英国製 シルバープレート  一部 SOLD
トレーの上に、ティーポット、コーヒーポット、ミルク入れ、砂糖入れの計五点。
1930年代から1940年代にかけての英国製、POSTON & CO LTD作、

五点ともに底面にはPOSTON & CO LTDのメーカーズマークが刻印されています。
さらに、MADE IN SHEFFIELD ENGLANDの表示もあります。

トレーはTray decorated with engraving and scroll and shell borderと呼ばれます。

トレー:直径43.5cm、重さ2.1kg、SOLD
ティーポット:重さ 720g、注ぎ口からハンドルまでの長さ 31.0m、最大横幅13.0cm、高さ14.5cm、SOLD

コーヒーポット:重さ 665g、注ぎ口からハンドルまでの長さ21.7cm、最大横幅12.0cm、高さ22.5cm、二万三千円

ミルク入れ:重さ188g、長さ14.0cm、最大横幅8.0cm、高さ8.8cm、五千円
シュガー入れ:重さ213g、長さ16.5cm、最大横幅8.5cm、高さ9.5cm、五千円
アンティーク ティー サーヴィス 五点セット 英国製 シルバープレート(英国 アンティーク シルバー いぎりすもんや)

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