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37. アンティークと歴史経済の大循環について

これまでに英吉利物屋で扱ってきたアンティークを、過去230年にわたる経済社会の大循環の中に置き直して、その歴史的背景について考えてみましょう。


歴史学と経済学にまたがる研究分野に景気循環論があり、ロシアの経済学者ニコライ・コンドラチェフと、アメリカ経済学会の重鎮ヨーゼフ・シュンペーターが業績を残しています。

コンドラチェフは過去の物価、賃金、利子、生産データを分析して、五十年から六十年周期の大きな景気循環が存在することを見つけて、1926年に『景気の長期波動』という論文を著しました。

経済学者であり、同時にまた社会学者でもあったシュンペーターは、コンドラチェフの仮説に触発され検証した結果を、『景気循環の理論』として1939年に発表しています。

シュンペーターは、コンドラチェフとほぼ同様な結論を得て、世界経済は十八世紀後半より五十年から六十年周期で、第一次長波から第三次長波まで、都合三回にわたる大循環を繰り返してきたと論じ、この長期循環をコンドラチェフの波と名付けました

コンドラチェフやシュンペーターが説くところの景気循環論によれば、技術革新が世の中を牽引し、世界を動かす枠組みに変化が起こり、五十年から六十年を周期とする経済の長期循環があるらしいとのこと。この説は1930年代に提唱されたものですが、それ以降もサイクルを第四波や第五波というように伸ばして、技術革新と世界の枠組みについてキーワードを並べてみました。

第一波1780年頃〜、紡績機、蒸気機関、産業革命の時代。
第二波1840年頃〜、鉄道、郵便、自由貿易主義の時代。
第三波1890年頃〜、電気、電信電話、帝国主義の時代。
第四波1945年頃〜、自動車、マスメディア、米ソ二大国の時代。
第五波1995年頃〜、IT、エコエネルギー ? 遺伝子医療 ? 世界市場一体化の時代。

現代資本主義の起源が、イギリスにおける産業革命にあったことは、歴史の授業が教えるところで、よく知られています。

昔の時代には資本主義経済といえばイギリスを指していたので、第一波から第三波まではイギリス経済史とほぼ重なっています。そして、その後には資本主義が世界中に広がっていったので、第三波以降は世界の歴史と考えられます。

過去230年の経済史を簡略にまとめた長期景気循環表を眺めていると、これまでに英国アンティークを扱ってきて、時折に感じたいくつかの疑問が、長いタイムスケールの物差しの中にすっきりと収まってくる気がいたします。

(1)シルバーアンティークの出現頻度ボーダーラインが1780年あたりにあること。
(2)1882年のアンティークシルバーがあまりないこと。
(3)第二波時代のイギリスについて、ヴィクトリアーナ。




No.20096 ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ティースプーン
1798年 ロンドン アセイオフィス、Samuel Godbehere & Edward Wigan作、コンドラチェフ第一波の初めの頃に作られたアンティークの例です。


英吉利物屋で取り扱うアンティークのメイン分野は、コンドラチェフ第一波と第二波の時代にあるわけですが、もう少し敷衍して、アンティークと長期経済循環に関する具体例について見ていきましょう。

(1)シルバーアンティークの出現頻度ボーダーラインが1780年あたりにあること

英吉利物屋によくお立ち寄りいただくお客様であれば、英吉利物屋の扱い品の中でも古い方のシルバーウェアというと、1780年頃の作になることにお気づきかと思います。

それよりも古いシルバーが世の中にないわけではありませんが、アンティーク探しをしていて、品物がぼちぼち出てくるボーダーラインは、どうも1780年あたりというのが私の実感でした。

その理由が長期の景気循環表を眺めて見ると、なるほどと了解されるのです。
この時代はコンドラチェフ長期循環の第一波が始まった時期にあたり、それはつまり産業革命の始まりであり、資本主義経済が歴史上初めて立ち上がってきた時期でありました。

シルバーウェアというのは、金銀本位制の昔にあっては、マネーと同じもの、富そのものでありました。産業革命によって経済の生産性が上がって、富の蓄積が始まったことで、シルバーウェアの数も、ようやく後の世に残りやすいほどに増えてきたという事情が背景にあるのだろうと考えられます。

他の観点からも当時のイギリスの様子を眺めておきましょう。1780年頃から始まる第一波の60年間にイギリスの人口は1300万人から2600万人に倍増しています。比較的短期間での倍増であることから、産業革命の進行によって当時の社会がそれより前の時代と比べて急に豊かになりテイクオフした様子が、イギリスの人口推移からも推察されるのです。



(2)1882年のアンティークシルバーがあまりないこと

以前にアンティークの品物説明に次のような解説を書いたことがあります。

『1882年のシルバーアンティークをお探しのお客様から、「1882年ものを以前から気にしてみているのですが、なかなかありません。その時期というのはあまり作られなかった時期なのかしら・・・。」と、質問をいただきました。

これまでに取り扱った英吉利物屋の品物を調べてみたところ、確かにお客様のご指摘通り、1882年は少ないようです。不思議なことだと興味深く思って、その歴史的な背景を探ってみました。

まず、大きな歴史経済の流れとして、1873年から1896年までの英国は不況であったようです。当時の主要な産業は農業でしたが、アメリカから安い農産物が入るようになって、農業は深刻な不況に見舞われていました。一方で、綿織物業や鉄道の発達など技術革新は続き、工業生産は増加の一途でした。より安価な農産物と工業品が溢れて、物価が下がりやすい状況が続いていたのです。

そして実際に物価は大きく下落したわけですが、不況を助長したさらに大きな要因として、当時の金本位制下にあって産金量が増えず、通貨供給量の伸びが生産の拡大に追いつかなかったことが指摘されています。

1890年代に入ってオーストラリア、南アフリカ、カナダといった大英帝国領で金生産が増えて、結果として通貨供給量が大きく拡大して、ようやくデフレ不況を脱することが可能となったのでした。

それからもう一つ、1860年には経済学者ジュグラーが、10年毎の景気循環があることを初めて指摘して、これがジュグラー循環と呼ばれます。

私が思うに、19世紀第4四半期の英国が総じて不況にあった中で、ジュグラー循環の谷間も重なって、谷間の谷という状況が1882年頃であったなら、銀製品が少ない理由として考えられそうに思うのです。』 以上

この説明記事を書いたときには、コンドラチェフ循環まで見渡していなかったのですが、今ならその理由をもっと長期の物差しの中で、よりすっきりと理解できます。 

イギリスの19世紀第四四半期はコンドラチェフ第二波の後退期にほぼ重なっています。第二波の前半には、産業革命を真っ先に成し遂げたイギリスが「世界の工場」として確固たる地位にありました。自由貿易を推し進め、それがイギリスの利にかなっていたわけですが、第二波後半になるとアメリカやドイツが頭角を現すようになってきます。この頃のイギリスは自由貿易が信仰とも言える固い信念となっていたので、アメリカから安い農産物が入ってきても、歴代政府は保護政策をとらず、農業不況は深まる一方でありました。

コンドラチェフ第二波の前半時代には、自由貿易主義を掲げてイギリスは成功していきました。ところが後半に入ると、その自由貿易主義が今度はイギリスの首を絞めることになったのでした。

長く歴史を鳥瞰してみると、人も社会も成功を収めたその同じ原因で、今度は調子に乗り過ぎて失敗につながっていく、というようなことがあるのではないか。歴史の面白さかも知れません。

以上(1)と(2)は、コンドラチェフの長期波動を頭に入れてアンティークに接すれば、そのアンティークにまつわる時代背景がより明瞭になって、もっとアンティークを楽しめる事例と思うのですが、如何でしょうか。


以上

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