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45. 夏目漱石のイギリス留学、アーツ・アンド・クラフツ ヴィクトリアン シェイクスピア本、そして漾虚集(ようきょ集)

漱石は1900年10月から1902年12月まで、文部省留学生として英語および英文学研究の為に、ロンドンで暮らしておりました。 この時期はヴィクトリア時代の最後からエドワーディアン初めにあたっており、二年二ヶ月にわたるイギリス経験は、漱石の考え方やその後の文学作品に大きな影響を与えたと思われます。

「ロンドン留学日記」を手がかりに、漱石のイギリス暮らしを特に書籍という観点から眺めて、帰国後に出版された初期短編集 『漾虚集』にあらわれている漱石のイギリス経験について考えてみます。


【1】 まずは、漱石のロンドン経験について、その概要をつかんでおきましょう。 「ロンドン留学日記」を読んでいくと、ロンドンに着いてから半年ほどは、出来事の記述に加えて漱石の感想など日記の分量が多いのですが、その後は次第に減っていく傾向があります。 最初の半年ほどは「頗る愉快」とか「愉快なり」という記述が散見されるのですが、その後は「愉快」という言葉が日記に見当たりません。 そして、後半の一年以上にいたっては、日記もまったく途絶える暮らしとなったのでした。 

ロンドン暮らし後半の漱石は、奥様に宛てた手紙によれば、「近頃は神経衰弱にて気分すぐれず、甚だ困りおり候」でありました。 留学最後の頃には「漱石狂セリ」との噂も立って、文部省より帰国を命じられる有様であったようです。

留学後半は下宿に籠ってひたすら英文学の研究に没頭したこと、あるいは遠い異郷の地でホームシックもあったかも知れません。 また、当時のイギリスは世界一の先進国で物価が高く、ポンド円為替もかなりのポンド高でありましたので、文部省の官費留学とはいえ金銭面で余裕があったとは到底言えませんでした。 それでも英文学関連の書籍については無理をしてでも多く購入していたことが、漱石のロンドン暮らしを圧迫していたようでもあります。 

漱石は帰国後数年にして、東京帝国大学での教職をなげうって小説家になります。 初期の作品をみると、『我輩は猫である』では洋風をありがたがる風潮を茶化したり、『草枕』では非人情な俳句的小説で和風を追求したり、『三四郎』では日露戦争に勝って浮かれる日本を戒めたりしています。 日本の将来を考えて、この国はもっと覚醒すべきだが、そうだからと言って、軽々に西洋をありがたがったりもしない、そういった漱石の基本的態度が読み取れるように思います。

こうした考え方は、ロンドンに滞在して半年以内の日記に既にほぼ出尽くしているようなので、以下に抜粋し列記しておきましょう。 

1901年1月27日(日)
夜、下宿の三階にてつくづく日本の前途を考う。 日本は真面目ならざるべからず。 日本人の眼はより大ならざるべからず。

1901年3月16日(土)
日本は三十年前に覚めたりという。 しかれども半鐘の声で急に飛び起きたるなり。 その覚めたるは本当の覚めたるにあらず。 狼狽しつつあるなり。 ただ西洋から吸収するに急にして消化するに暇なきなり。 文学も政治も商業も皆然らん。 日本は真に目が醒めねばだめだ。

1901年3月21日(木)
英国は天下一の強国と思えり。 彼らは過去に歴史あることを忘れつつあるなり。 ローマは亡びたり。 ギリシャも亡びたり。 今の英国は亡ぶるの期なきか。 日本は過去において比較的に満足なる歴史を有したり。 比較的に満足なる現在を有しつつあり。 未来は如何あるべきか。 自ら得意になる勿れ。 自ら棄る勿れ。 黙々として牛の如くせよ。 真面目に考えよ。 誠実に語れ。 摯実に行え。 汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来となって現わるべし。

1901年1月5日(土)
妄りに洋行生の話を信ずべからず。 多き中には法螺を吹きて厭に西洋通なる連中多し。 彼らは洋服の嗜好流行も分からぬくせに己の服が他の服より高き故時好に投じて品質最も良好なりと思えり。 洋服屋にだまされたりとはかつて思わず。 かくの如きもの着て得々として他の日本人を冷笑しつつあり。 愚なること夥し。


【2】 それでは次に、漱石がまだ比較的「愉快」に暮らしていたロンドン滞在最初の半年間について、特に書籍をキーワードにして、もう少しその様子を探ってみましょう。 日記から所々をいくつか拾ってみましたが、実際にはもっとたくさん、書店めぐりをしたとか、何々の本を買ったというな書籍に関する記述があり、以下はその一部を抜粋したものです。 それでも漱石が書籍を求めてロンドンの街を歩いた足取りが彷彿としてきます。

1900年10月28日(日): 巴里を発し倫敦に至る。 船中風多くして苦し。 晩に倫敦に着す。
1900年11月5日(月): National Galleryを見る。 Westminster Abbeyを見る。 University Collegeに行く。

1900年11月19日(月): 書物を買いにHolbornに行く。
1900年11月22日(木): Craig に会す。 Shakespeare学者なり。 一時間 5 shillingにて約束す。 面白き爺なり。

1901年1月2日(水): JohnsonのBritish Poets 75巻、及び Restoration Drama 14巻 等を買う。 Tottenham Court Road Rocheにて。
1901年1月21日(月): 女皇危篤の由にて衆庶皆眉をひそむ。

1901年2月2日(土): Queenの葬儀を見んとて、朝九時 Mr. Brettと共に出づ。
1901年2月6日(水): 昨日買いたる書物到着す。 宿の女房問て曰く、あなたはどこでこんな古本を御求めなさいますか、と。

1901年2月12日(火): Charing Crossにて古本を購わんとす。 一週間前に出たるカタログ中の欲しきもの大概は売れたり。 何人が買うにや倫敦は広き処なり。
1901年2月23日(土): Her Majesty Theatreにて Twelfth Nightを見る。

1901年2月13日(水): Camberwell Greenで絵入の草花を説明した本を二冊十シリングで買った。
1901年3月13日(水): Knightの『沙翁集(シェイクスピア全集)』その他合して50円ばかりの書籍を買う。 書物屋の主人曰く、厭なお天気ですな、しかし書物ばかり読んでいる人には宜しゅう御座んしょう、と。 この日 Baker Streetにて中食す。 肉一皿、芋、菜、茶一椀と菓子二つなり。 一シリング十ペンスを払う。

トトナム・コート・ロードからチャリング・クロスにいたる界隈は、東京でいったら神田神保町のようなところで、今でもイギリス最大の老舗書店 Foylesや、多くの書店がありますが、漱石もあの界隈を歩いていたんだなあと、感慨深く思います。

クレイグ氏とは、英文学について学ぶ為に、漱石が個人指導を受けていたシェイクスピア研究を専門とする学者で、その様子は『永日小品』の一節になる「クレイグ先生」に詳細があります。

『沙翁集』その他合して50円ばかりの書籍を買う。 とありますが、石川啄木がこの頃に函館の小学校代用教員になった月給が12円ですから、一度の書籍代としてはビックな買い物だと分かります。 

シャーロック・ホームズでおなじみのベーカー・ストリートで昼食をしています。 肉のメインディッシュにポテトやサラダがついて、ティーにデザート二品なら、しっかりしたランチと思いますが、それが1シリング10ペンスとのこと、当時の物価水準を知るのに参考になります。 ちなみに昔の貨幣単位では1シリングは12ペンスですので、この日の昼食代 1シリング10ペンスとは、2シリング弱ということになります。

「絵入の草花を説明した本を二冊十シリング」とのこと、これは英文学関連でないので、書店でいろいろ眺めているうちに欲しくなったのでしょう。 専門外の書籍で、漱石の買う本としては、それほど高価なものではありませんが、それでもボリュームあるランチ一週間分ほどのお値段です。

シェイクスピアの『Twelfth Night』を劇場に見に行ったり、あるいはヴィクトリア女王の崩御と葬儀の一部始終を、ロンドンにいて身近な出来事として見聞きしていた漱石にも、関心を惹かれるところです。


【3】 英国留学時代の漱石がロンドンでどんな暮らしをしていたのだろうか。 イギリスでの経験がその後の漱石にどんな影響を与えているのだろうか。 等々に興味を惹かれて、漱石初期の著作を読んだり、その背景を調べるうちに、漱石著作の第二冊目にあたる『漾虚集』には、当時のロンドンで本屋巡りをしていた人ならではの特徴が現れていることに気がつきました。

結論から先に申し上げますと、今から百十年ほど前のヴィクトリアン ロンドンで、夏目漱石は書籍街をめぐり歩いて英文学関連書籍を求めるうちに、当時シリーズ本が刊行中であったチズウィック・プレスのアーツ・アンド・クラフツ装丁 シェイクスピア本を書店で手にして眺めたり、あるいは蔵書として求めたろうと推測しています。

そしてチズウィック・シェイクスピア本と同じような本を日本で出版してみたいと考えて、『漾虚集』のモデルにした可能性が高いとみております。


それでは、『漾虚集』とはどんな本なのでしょうか。

『漾虚集』とは初期の夏目漱石七つの短編集です。
岩波文庫版にある江藤淳氏の解説では、七つの作品は四つのグループに分類できるとされます。

留学もの:『倫敦塔』、『カーライル博物館』
怪談もの:『琴のそら音』、『趣味の遺伝』
騎士道もの:『幻影の盾』、『薤露行』
判じもの:『一夜』

(ちなみに岩波文庫での書名は『倫敦塔、幻影の盾、他五篇』となります。)

判じもの:『一夜』については、江藤淳氏の解説で補足しておきます。
「この判じものを解く手がかりは、おそらく一人の女を囲む二人の男という、『一夜』の構図そのもののなかにある。 これを手はじめとして、『薤露行』 『それから』 『門』 『行人』 そして『明暗』」と、漱石はその短い作家的生涯のあいだに異例に数多くの姦通小説を書いている。(以上、江藤淳氏の解説)」

私のお薦めは『琴のそら音』。 百年前のアンティークな暮らしがよく分かり、読後感も爽やかな短編です。 
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/1073_14944.html
余談ながら、イギリスで暮らすようになる前、『琴のそら音』の主人公が小説の中で歩いた界隈に住んでいたもので、その道筋が思い浮かび、たいへん懐かしくもあります。


『漾虚集』の刊行は明治39年(1906年)、漱石にとっては二冊目の著書、版元は日本橋の大倉書店と銀座の服部書店。

以下は江藤淳氏の興味深い解説で、そのまま引用させていただきます。

「この本の版元に二つの書店が名を連ねているのは、ちょっとおかしな感じがするが、それは『漾虚集』が着色版の扉や挿絵入りのなかなか凝った本だったからだろうと考えられる。 つまり、大倉書店が本文を、服部書店がイラストを担当するいうかたちで、この本ができ上がったものと推定されるからである。

漱石はその出来栄えに大層満足であった。 『漾虚集』をこういう凝った本にしようとしたのは漱石自身の意図で、彼はこの本をその頃英国でウィリアム・モリスらによってさかんに試みられていたような、文学と視覚芸術の交流の場にしたいと考えていたのである。

そういう由来を振り返ってみると、この文庫版が漱石の本文だけで、扉も挿絵も付いていないのは少々残念のような気がしないでもない。(以上、江藤淳氏の解説)」 


そのように言われると、もともとの『漾虚集』の扉や挿絵がどんな風だったのか、ぜひ見てみたいと思って探しました。 ところがアンティーク本は、そう簡単には見つからないし、かなりの値段が付いていて、手に入りにくいことが分かりました。

たどり着いたのが国会図書館、蔵書の中に『漾虚集』の初版本があって、オンラインで閲覧できます。

『漾虚集』の初版本をめくるうちに、アッと思いました。 英吉利物屋で扱っている チズウィック・ プレス アーツ・アンド・クラフツ装丁 ヴィクトリアン シェイクスピア本と、挿絵の使い方や本全体の構成が同じなのです。


【4】 詳しく見ていきましょう。 英語の本は横書きで左からページをめくるのに対して、日本語の本は縦書きで右からページをめくっていきますので、縦横左右が逆になることに留意してください。

アーツ・アンド・クラフツ装丁 チズウィック・ プレス ヴィクトリアン シェイクスピア シリーズ 『Romeo and Juliet』夏目漱石のイギリス留学、アーツ・アンド・クラフツ ヴィクトリアン シェイクスピア本、そして漾虚集(ようきょ集)(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)

巻頭にあって本の表題を印刷したページを扉と呼びますが、『ロミオ&ジュリエット』の扉をご覧いただくと、『ROMIO & JULIET』が赤字にて印刷されています。 隣に見える『漾虚集』では、この写真は白黒写真でありますが、実際の本ではこの表題がやはり赤字で印刷されております。

表題の前ページには挿絵のページが配されているところも共通しております。

夏目漱石のイギリス留学、アーツ・アンド・クラフツ ヴィクトリアン シェイクスピア本、そして漾虚集(ようきょ集)(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)夏目漱石のイギリス留学、アーツ・アンド・クラフツ ヴィクトリアン シェイクスピア本、そして漾虚集(ようきょ集)(英国 アンティーク シルバー 英吉利物屋)

チズウィック・プレスのシェイクスピア本では、合計五幕構成の各幕始めにはそれぞれに違っていて楽しめるちょっとした小さめな挿絵付き表題があります。  『漾虚集』では七つの短編が始まるところに、やはり小さめな挿絵付き表題が見えます。



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シェイクスピア本では五幕構成の各幕に一ページ全体サイズの大きな挿絵が一枚づつ配されておりますが、『漾虚集』でも各短編に一枚づつ大きな挿絵が入っています。 また挿絵ページの裏面がブランクページになっている本の作りも同様です。



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チズウィック・プレスのシェイクスピア本では、最終幕の後には「The End」の文字とともに挿絵があって締めくくりとなっております。 『漾虚集』においては、「漾虚集 終」の文字とともに挿絵が入っているのが分かります。

日本の本と、英国の本でありますが、とても似ている本であることがお分かりいただけたと思います。

以上まとめますと、

第一に、チズウィック シェイクスピア シリーズの刊行時期が、漱石のロンドン留学の頃と重なっていること。

第二に、漱石は英語および英文学研究を目的としてロンドンで関連書籍を探しておりましたし、直接に師事したクレイグ先生はシェイクスピア学者であったこと。

第三に、そして何よりも、チズウィック・シェイクスピア本と『漾虚集』初版本が、とてもよく似た構成の本になっていること。

『漾虚集』とチズウィック・プレスのシェイクスピアシリーズは、ともにウィリアム・モリスを鍵にしてつながっており、ロンドンの書店街をめぐり歩いていた漱石が、手にとって参考にする機会があったことは、ほぼ間違いなかろうと考えています。


チズウィック・プレスのシェイクスピアシリーズについて詳しくは以下をご参考ください。


その他のチズウィック・ プレス アーツ・アンド・クラフツ装丁 ヴィクトリアン シェイクスピア本 を見る。

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