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アンティーク 銀ボタン、ブラスボタン、徽章、銀製ボタンフック、銀製靴べら(1)

これまでに扱ってきた銀ボタンがいくつかありますが、ホールマークから分かる製作年は、ヴィクトリア時代からエドワーディアンの時代に移った1900年を起点にして前後十数年ほどの間にかたまっているようです。 銀ボタンが当時流行ったということでしょう。 比較的に製作年代が短い期間に集まっているアンティークというのは、コレクターとしてはその道の専門家になりやすいというメリットもありましょう。

銀の歴史に関心があり、その一環として気になるのですが、イギリスではある時期に特定の銀製品が流行する歴史があったようで興味を惹かれます。 1900年前後の銀ボタン1930年代から十年ほどの銀グッドラックホースシュー、そして1970年代後半から十年ほどの銀インゴット型ペンダントヘッド。 銀関連の豆知識になりましょうか。


No. 19175 アール・デコ 9カラット ゴールド &スターリングシルバー チェーンョ ダブルフェイス カフリンクス SOLD
楕円の長径 1.7cm、短径 1.1cm、本体の厚み 1mm、1930年代 英国製、H.G & S作、SOLD
スターリングシルバーと9カラット ゴールドで作られたカフリンクスで、素材のよさが第一のポイントです。 今から八十年ほど前に作られた古い品でありながら、コンディション良好なこともよいでしょう。 そして、品物の背景を探っていく手掛かりが残っていることも、アンティークとしておもしろいと感じます。

素材はベースがスターリングシルバーで表面は9カラット ゴールドとなっています。 裏面には素材を示す「9CT GOLD & SILVER」の刻印と、「H.G & S」のメーカーズマークがあります。 「H.G & S」といえば、1930年代にはスターリングシルバー ホースシューを作っていたシルバースミスであって、興味を惹かれております。

この品を見ていくと、二つの点から1930年代の作であろうと推測できます。 まず表面のデザインですが、9カラット ゴールド部分は鏡面仕上げと、マットd上げを組み合わせて、直線を基調とした幾何学模様が施されており、これは1930年代のアール・デコの特徴です。 

さらに加えて、「H.G & S」のメーカーズマークが刻印されていることから、この品が作られたのは1930年代であろうと考えられます。 と言いますのは、「H.G & S」のメーカーズマークを使っていたシルバースミスが、銀のホースシューを作っていたのは、蛯ニして1930年代のことであり、このシルバースミスの活動期間を推測する手掛かりを与えてくれるのです。

シルバー&9カラットゴールドの素材ですから、品物が良いのは間違いありません。 そのうえ、たとえデートレターはなくとも、デザインやシルバースミスの情報から、製作年代を絞っていける。 こんなところも、ハ真のアンティークを手にして楽しいポイントだと思います。

1920年代、30年代はアール・デコの時代ですが、ヴィクトリアンあるいはエドワーディアンの伝統的で凝ったシルバーデザインとは大きく異なる変更が、この時代にあったことは、とても興味深いと思います。 ある解説によれば、このデザイン上の大きな断絶を生み出した最大の要因は第一次大戦だったと言われています。 

当桙フ人たちはヴィクトリアンとエドワーディアンの輝かしい伝統の延長上に世界大戦が起こったことに大きなショックを覚え、ポストワーの時代には、昔の時代から距離を置きたいと望む風潮が強く、そこにアール・デコがぴたりとはまったというわけです。 

アール・デコについてはいろいろな説明がありますが、この解説はかなり言いえているように思います。 イギリスを隅々まで旅してみて、どんな小さな田ノの村にも、第一次大戦の戦没メを悼む記念碑が建っているのを知りました。 英国人の暮らしを根底から揺るがした出来魔ナあったことが想像されるのです。
アール・デコ 9カラット ゴールド &スターリングシルバー チェーンョ ダブルフェイス カフリンクス




No. 19196 ジョージ六世 ロイヤル エンジニアーズ ブラス 襟章 SOLD
直径 1.9cm、重さ 5g、本体の厚み 7mm、裏面の留め金部分を含めた最大長さ 17mm、(二つあります-->SOLD)
しっかり出来たブラスの襟章です。 外・狽ノは「ROYAL ENGINEERS」とあります。 ロイヤル エンジニアーズとは、イギリス軍の工兵部隊にあたります。 

中央に見えているのは王冠に「GRY」ですが、これは英国王ジョージ六世を示しています。

ハ真二番目のように、メーカーズマークや「LONDON」の表ヲもあります。

ジョージ六世時代(1936年〜1952年)の工兵ボタンですから、おそらく第二次大戦中の品になりましょう。

ハ真O番目は近所で見かけたロイヤルメールのポストですが、まったく同じ「GRY」マークが付いています。

ちなみに、GR VI post box - George VI (postbox put up between 1936-1952)
ジョージ六世 ロイヤル エンジニアーズ ブラス 襟章


No. 16072 ジョージ六世 ロイヤル エンジニアーズ ブラス ボタン SOLD
ボタンの直径 1.9cm、重さ 5g、ボタン本体の厚み 7mm、裏面の留め金部分を含めた最大厚み 13mm、 (六つあります-->SOLD)
しっかり出来たブラスボタンです。 外・狽ノは「ROYAL ENGINEERS」とあります。 ロイヤル エンジニアーズとは、イギリス軍の工兵部隊にあたります。 

中央に見えているのは王冠にGRYですが、これは英国王ジョージ六世を示しています。

ハ真二番目のように、裏面には読みにくいながら、メーカーズマークや「LONDON」の表ヲもあります。

ジョージ六世時代(1936年〜1952年)の工兵ボタンですから、おそらく第二次大戦中の品になりましょう。

ちなみに、港の見える丘公園にある旧英国総領事公邸(=現在の横浜sイギリス館)の 「玄関脇にはめ込まれた王冠入りの銘版 (ジョージY世の時代)」というのはこのマークです。
http://www2.yamate-seiyoukan.org/seiyoukan_details/Igirisukan/
ジョージ六世 ロイヤル エンジニアーズ ブラス ボタン


No. 19175 エドワーディアン スターリングシルバー ボタン with ブリティッシュ シルバー ホールマーク
直径 2.8cm、留め具を含む最大厚み 6mm、重さ 5g、1902年 ロンドン、
今から百年以上前のエドワーディアン初期に作られたスターリングシルバーの飾りボタンです。 型押しで調整した後に、透かしの断面は糸鋸を使った手仕魔塔Y麗に仕上げてあります。 百年以上前の時代だからこそ出来た労働集約的な仕鱒Uりであって、今日では手に入れにくいアンティークならではのよさが感じられます。 

ボタンを時計に見立てて四桙フ辺りに、ブリティッシュ ホールマークがしっかり深く刻まれています。 ホールマークは順にスターリングシルバーを示すライオンパサント、ロンドン レオパードヘッド、そして1902年のデートレターになります。

この銀ボタンのモチーフについて考えてみました。 身分の高そうな女性と、差し出された右閧フ甲にキスする男性の服装から判断して、梠續w景は17世紀から18世紀頃と思われます。 当桙フ貴族社会においては、こうしたキスは挨拶の一つの形ョでありましたので、この二人は特別に関係が深い間柄というわけではないでしょう。 物語の一場面と考えられますが、特定するには至っておりません。 女性が杓杖を手にしているのが何かヒントになるかも知れません。 

これまでに扱ってきた銀ボタンがいくつかありますが、ホールマークから分かる製作年は、ヴィクトリア梠繧ゥらエドワーディアンの時代に移った1900年を起点にして前後十数年ほどの間にかたまっているようです。 銀ボタンが当棊ャ行ったということなのか、興味を惹かれます。 比較的に製作年代が短い期間に集まっているアンティークというのは、コレクターとしてはその道の専門家になりやすいというメリットもありましょう。
エドワーディアン スターリングシルバー ボタン with ブリティッシュ シルバー ホールマーク


No. 18782 British Railways、London ブラス ボタン 
ボタンの直径 1.6cm、重さ 2g、ボタン本体の厚み 6mm、裏面の留め金部分を含めた最大厚み 12mm、

イギリス国鉄のブラスボタンで、ヤ輪の上下にBRITISH RAILWAYSの文字が入っています。 ハ真二番目で見えるように、裏面にはボタンメーカーの名前と、LONDONの文字があるのもよいでしょう。

British Railways のブラスボタンということですが、イギリスの鉄道は民営化されて、イギリス国鉄は既に無くなっておりますので、ノスタルジーの対象となります。 イギリスにおける鉄道の歴史を見てみると、初めは民営だった鉄道が国有化されて、その後また民営に戻ったという経緯があります。

ポワロシリーズの『ABCE人膜潤xは、推理小説としては旅情もののはしりとも考えられ、ポワロとヘイスティングスが鉄道でイギリス各地に出かけます。 そもそも「ABC」とは、ヴィクトリア梠繧ノ創刊された「ABC檮助\(ABC Alphabetical Railway Guide)」のことでもあり、鉄道駅や客ヤコンパートメントでのシーンが多いので、古きよきイギリスの鉄道時代が偲ばれる映像作品です。 British Railways ブラス ボタン アンティークと合わせてお薦めしたいと思います。

イギリスは世界で初めて鉄道網を完成させた国であり、ヴィクトリア梠繧フ大発展は鉄道の発達によるところ大でありました。 イギリス人の鉄道に対する思い入れは、相当なものだと感じます。

当桙フイギリスは鉄道狂時代と呼ばれます。 「情報を吸し、発信し、広める力という観点で見れば、人生が二倍になる。…地方ごとの違いと対立を生み出している偏見と狭量が、この高貴な発明によって解消されていく。」 現在進行中のIT革命の話かと思いきや、そうではなくて、これは百六十年ほど前に鉄道投藻Mで浮かれていた頃のイギリスの新聞記魔ネのです。 

1845年にはイギリス中で約600路線の鉄道開設が進められていたそうです。 世の中は次第に鉄道投機熱に浮かれていきます。 そしてついに 1849年には鉄道バブルが弾けてしまったわけですが、それでも鉄道網は残ったことは、イギリスにとって幸いでした。 

『19世紀の英国(Harvie & Matthew著)』によれば、1848年には英国内の鉄道総延長は8000マイル(=12800km)に達し、北はスコットランドのアバディーンから南はプリマスまで、イギリスの鉄道網はほぼ完成しました。 ヴィクトリア梠繧フ大発展の基礎が出来上がったのです。

イギリスの鉄道発達jを眺めていて、面白いと思われるのは、イギリスでは民間会社がどんどん鉄道を作っていって、国が主導するということがなかった点です。 日本の鉄道史を考えてみれば、まずは国家が鉄道を計画して、日本を豊かにしようと国中に広げていくのが当たり前だったように思うのですが。

歴史を紐解くと、走{蜍`の先進国であったヴィクトリア梠繧フイギリスにおいては、鉄道の延長はまったく民間にゆだねられていました。 ところが、計画性のない無秩序な鉄道建設にはやはり問題もありました。 儲かりそうだとなると、同じく区間に複数の鉄道が敷かれたり、あるいはまた、何でそんなところにというような場当たり的な鉄道敷設もあったのでした。

そんなわけで、鉄道の中には商業的に採算割れとなって破綻の末路をたどっていくものも少なからずありました。 ところが、イギリス人の面白いところは、そうした昔の破綻鉄道の多くが現在では観光用になって、今でも蒸気機関車を走らせる観光鉄道としてイギリス各地に数多くあることです。 イギリス人のアンティーク好きと鉄道に対する思い入れが合わさった結果なのでしょう。 

鉄道に関連して、英国アンティーク情報欄にあります「37. アンティークと歴史経済の大循環について」もご参考まで。

この記魔書いていて、рフ子供の頃には西武園遊園地の辺りに「おとぎ列車」があったことを思い出しました。 アンティークな軽便鉄道に蒸気機関車が走る路線でありました。 q供の頃の思い出に残っており、懐かしくなって調べてみたら、今はもうなくなったとのこと、c念に思いました。 

「おとぎ列車」のようなアンティーク鉄道が、イギリス各地にはけっこうたくさん残っているのですが、採算的に合うのかなあと、ちょっと心配になるほどです。 これもイギリス人アンティーク魂のなせる業なのでしょうか。

ブラスという素材はパブのカウンターとか、マナーハウスのドアノブなど英国の昔ものには欠かせない素材で、磨き上げられたブラスの光沢は翌ソ着きと品があって、英国風を感じさせます。 ブラスのボタンを「金ボタン」と呼ぶことがありますが、ハ真のボタンもブラス磨きでお手入れすれば、いわゆる金ボタンの輝きを取り戻すことでしょう。

ブラスのお手入れについては、ブラス専用の磨き液がありますので、ご紹介しておきましょう。 рヘReckitt & ColmanミのBrassoという磨き液を使っています。 スペイン製ですが、なぜか缶の表には英国王室御用達のQE2マークがあります。 イギリス人はブラス好きで、昔から英国風には欠かせない素材であったことが関係あるのかも知れません。 Brasso液を布につけてブラスボタンを磨くと、ピカピカになります。

それから日本でも簡単に手に入るお手入れ用品として、日本磨料工業製の『ピカール』という品もあります。 gい比べてみて、ピカールの方が用途が広くて便利かも知れません。
ブラス ボタン British Railwaysブラス ボタン British Railways裏面には一つずつLONDONの文字


No. 18781 エドワーディアン スターリングシルバー ハンドル+スティール ブレード 靴べら
長さ 20.0cm、重さ 70g、最大横幅 3.8cm、柄の最大厚み 1.0cm、1909年 バーミンガム アセイオフィス、

かなゃンY麗なエドワーディアン アンティークと思います。 

ブレードはスティール製で、ハ真O番目に見えるように、ブレードの柄元に近い辺りには、『STEEL ENGLISH MAKE』と表ヲがあります。

また、ハンドルはスターリングシルバーです。 ハ真O番目で見て、ハンドルのちょうど中央あたりには、スターリングシルバーを示すライオンパサントの刻印と、1909年のデートレターが刻印されています。 そして裏面の同じ位置には、スターリングシルバーを示すライオンパサントの刻印と、バーミンガム アセイオフィスのアンカーマークの刻印があります。
エドワーディアン スターリングシルバー ハンドル+スティール ブレード 靴べら


No. 18780 ヴィクトリアン ピンチバック ボタン with ゴールド装飾 カメオ
直径 1.35cm、ヴィクトリアン終り頃の英国製、

ピンチバック フレームの中央にカメオが入っていて、女性の横顔のレリーフが彫り出してあります。 ハ真二番目をご覧いただくと、髪の毛の部分にゴールド装飾が施してあるのが分かります。

ボタンというよりは、ヴィクトリアン ジュエリーといった風情に惹かれました。

ヴィクトリアン ピンチバック ボタン with ゴールド装飾 カメオ


No. 17053 アール・ヌーボー femme-fleur モチーフ エドワーディアン スターリングシルバー ボタン SOLD
長径 2.8cm、短径 2.8cm、重さ 6g、最大厚み(留め具含まず) 3.5mm、厚さ(留め具含む) 6.5mm、1900年 前後の英国製、SOLD
今から百年以上前のヴィクトリアン終り頃からエドワーディアン頃に作られた銀ボタンです。 

流れるような髪の女性とフラワーデザインを特徴とする femme-fleur はフレンチ アール・ヌーボーに典型的なモチーフですが、ヴィクトリアン後期からエドワーディアンの英国アンティークにも見られるデザインで、英語ではdream-maiden モチーフとも呼ばれます。

女性の首もとにブリティッシュ ホールマークが刻印されています。 ホールマークは順にメーカーズマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、ロンドン レオパード ヘッド、そして判読が難しいですがデートレターになります。

ハ真の銀ボタンが作られた当桙フ時代背景については、英国アンティーク情報欄にあります「14. Still Victorian」の解説記魔烽イ参考ください。
アール・ヌーボー femme-fleur モチーフ エドワーディアン スターリングシルバー ボタン


No.18221 エドワーディアン スターリングシルバー ハンドル ボタンフック
長さ 17.2cm、重さ 28g、シルバーハンドルの最大幅 2.0cm、シルバーハンドルの最大厚み 1.3cm、1905年 バーミンガム アセイオフィス、
今から百年以上前のエドワーディアンの時代に作られたスターリングシルバー ハンドル ボタンフックです。 接続部分はしっかり出来ていて、これからも長く実用に耐えるでしょう。

ハンドル部分はスターリングシルバーになり、1905年のデートレター、バーミンガム アセイオフィスのアンカーマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、そしてメーカーズマークの刻印があります。

ハ真一番目に見えるフック部分の表ヲは、フックの素材がスティールであることを示す「STEEL」と、英国製であることを示す「ENGLISH MAKE」の刻印です。 スティール部分の最大直径が6ミリ強あって、しっかりした作りとなっています。

ちなみに、ボタンフックの使い方は次のようです。 まずボタン穴の表側からフックの先端を差し込みます。 氓ノフックの先端でボタンの根元を絡め取ります。 最後にボタンを絡めたフックをゆっくりボタン穴から引き出すとボタンかけが完了します。

ボタンフックというのは、イギリスでは時々見かける小道具なのですが、こうした道具が使われる背景に思い当たることがあります。

歴史的にみても、日本ではあまり使われて来なかったと思います。 あったら便利な場合もあるので、これからの時代は介護用品として普及していく可能性もありましょう。 でも普通には、わざわざボタンフックを使うことはあまりなさそうです。

それでは、イギリスで使われてきた背景はどういうことでしょうか。 日本より寒冷な気候のイギリスですから、寒くて指先がかじかんだ時などは確かに便利です。 闡ワをしたままでもボタンかけOKという利点もあります。

また、大きな歴史観から眺めてみると、ヴィクトリア梠繧ヘイギリスミ会の青年期にあたっており、ミ会経済に活気があって、大いなる発明時代でありましたことから、ちょっとしたことでも専用道具を作り出す傾向はあったと考えられます。

ただ、より大きな要因としてもう一つ、イギリス人って日本人より総じて不器用な人が多いことが、ボタンフックの普及にも関係しているように思います。 рフことで申し上げると、特に印象深いのは歯医者さんでの経験です。 以前にこちらの歯医者さんで親知らずを抜いた時、術後しばらく痛み止めを飲んでも大変な苦労をしました。 親知らずがややこしいタイプで簡単でなかったことを割り引いても、こちらの歯医者さんの器用さ加減に疑問がありました。

日英の平均レベルで考えても、こちらの人は体も大きめで手も大きい、器用さのレベルは低そうだと疑っています。 また、メンタル面でも細かいことが気にならない気ソが、こちらの人の良い面でもあり、悪い面でもあります。 譜緕メさんのレベルは、もちろん個々人の資ソの問題でありますが、根っこのところでいかんともしがたい違いが横たわっているように思うのです。 

数年が経って、また別の親知らずが問題になったとき、今度は迷わず日本に一時帰国しました。 急ぎスケジュールの関係で二つの口腔外科で一本ずつ抜きましたが、ややこしい歯であるにもかかわらず、腕のいい先生方で、抜歯後の痛みは以前の経験と比べるとないも同然、よい意味でビックリ、驚きました。 日本では若く優秀な歯科医師が育っているなあと、感心しきりです。

帰りの飛行機でドイツ人と隣席になりました。 рェ英国に住んで長いと聞いて、彼は私に英国s民権を取って英国人にならないのか?と質問してきました。 イギリスは住むにはよいところで気に入っているけど、日本の医療システムは英国より上だし、個々の医師のレベルも日本の方が高いみたいで、日本人はやめられないよ、と抜歯後間もないだけに実感のこもった日本ゥ慢になった次第でした。

不器用でボタンかけが不得手なイギリス人といったら笑い話で済みますが、不器用な歯医者さんの割合が多いかも知れないイギリスミ会といったら、そこに住む人にとっては深刻な問題です。 まあ、そうは言っても大半のイギリス人はそんなふうには思っていないでしょう。 рヘイギリスミ会のよそ者なので、違いに敏感なところがありましょう。
エドワーディアン スターリングシルバー ハンドル ボタンフック


No. 18222 ヴィクトリアン or エドワーディアン 折りたたみ 鉄製 ボタンフック
伸ばした長さ 8.5cm、折りたたんだ長さ 4.8cm、重さ 17g、ヴィクトリアン終り頃からエドワーディアン頃の英国製、

ボタンフックという品は伸ばしていると危ない感じもいたしますが、この品は折りたたみ式で、納状態ならまったく安心です。 閧ノしてみると楽しいもので、なにはなくとも、出したり入れたりしてみたくなります。 

赤錆や黒Kが混じっていますが、基本的には黒Kが勝っており、これからもお手入れしだいで、いい感じなアイアン アンティークになっていくでしょう。

フック棒を両側から挟み込む二本のアームが、強力なスプリングの働きをする、なかなかのアイディア品です。 フック棒とアームの接合部は凹凸の形にスティールが切ってあり、アーム両サイドから押す力が強いので、ハ真一番目のように閉じた状態か、ハ真二番目の伸ばした状態で、カチッと形状が収まる仕掛けになっています。 

ヴィクトリアンからエドワーディアン頃のブラックスミスの仕魔ノなります。 金属細工人の中でも鍛冶屋さんをスミスあるいはブラックスミスと言いますが、蝸vな交通手段が馬や馬ヤであったヴィクトリア梠繧ノおいては、ブラックスミスはとても重要な職業で、どこの村にも鍛冶屋さんがありました。 カンタベリー大司教になったセント・ダンスタンは鍛冶屋さんでもあったという話がありますが、これなどは昔の時代にあっては鍛冶屋さんの役割が重要であった証左とも言えましょう。

各方面に技術が進歩した現代ではちょっと想像がつき難い所でありますが、昔の時代にあっては鍛冶屋さんは長いあいだ社会の先端技術メであり続けました。 もっと遠い昔、ヒッタイトの時代には鍛冶屋の技術を修めれば征服メにもなれたことに思いをいたしてみるのもよいでしょう。

知り合いに先祖が鍛冶屋さんだった方があって、その方は電気関係のエンジニアですが、科学全般に造詣が深く鍛冶屋の仕魔ノついても、いろいろ教えてもらいました。 赤錆、O_化鉄、黒K、五酸化鉄、鉄の焼入れ等々、Kも含めた鉄のコントロールについていろいろ習いました。 ごく簡単に言えば、赤錆は悪い錆びですが、黒K=l_化三鉄=トリアイアン・テトラオキサイド(triiron tetraoxide)は鉄を守るよい錆びです。 経験的に知っていたのかも知れませんが、こういう化学知ッも備えもって鉄をコントロールしてきたのが、昔の鍛冶屋さんであったのです。

英国アンティークにはスティール アンティークという専門分野があります。 イギリスには世界初の鉄橋で、ユネスコの世界遺産にもなっているアイアンブリッジという誰もが知っている観光地があって、英国人にとってスティール アンティークと言われてまず思い浮かぶのは、この産業革命の遺産であるアイアンブリッジであることが多いようです。 鉄の道具の歴史はかなり古いわけですが、ジョージアンの時代の中頃に始まった産業革命の影響が大きく、氓フヴィクトリア梠繧通じて、鉄製品が芸術的な領域にまで高められていきました。 ですからイギリスにおけるスティール アンティークとは、この国の人たちにとって誇らしいアイアンブリッジや産業革命の延長線上にあって、ヴィクトリアンのノスタルジーを感じさせてくれるアンティーク分野であるのです。

ちなみに、ボタンフックの使い方は次のようです。 まずボタン穴の表側からフックの先端を差し込みます。 氓ノフックの先端でボタンの根元を絡め取ります。 最後にボタンを絡めたフックをゆっくりボタン穴から引き出すとボタンかけが完了します。

ボタンフックというのは、イギリスでは時々見かける小道具なのですが、こうした道具が使われる背景に思い当たることがあります。

歴史的にみても、日本ではあまり使われて来なかったと思います。 あったら便利な場合もあるので、特に介護用品としてこれから普及していく可能性はありましょう。 でも普通には、わざわざボタンフックを使うことはあまりなさそうです。

それでは、イギリスで使われてきた背景はどういうことでしょうか。 日本より寒冷な気候のイギリスですから、寒くて指先がかじかんだ時などは確かに便利です。 闡ワをしたままでもボタンかけOKという利点もあります。

また、大きな歴史観から眺めてみると、ヴィクトリア梠繧ヘイギリスミ会の青年期にあたっており、ミ会経済に活気があって、大いなる発明時代でありましたことから、ちょっとしたことでも専用道具を作り出す傾向はあったと考えられます。

ただ、より大きな要因としてもう一つ、イギリス人って日本人より総じて不器用な人が多いことが、ボタンフックの普及にも関係しているように思います。 рフことで申し上げると、特に印象深いのは歯医者さんでの経験です。 以前にこちらの歯医者さんで親知らずを抜いた時、術後しばらく痛み止めを飲んでも大変な苦労をしました。 親知らずがややこしいタイプで簡単でなかったことを割り引いても、こちらの歯医者さんの器用さ加減に疑問がありました。

日英の平均レベルで考えても、こちらの人は体も大きめで手も大きい、器用さのレベルは低そうだと疑っています。 また、メンタル面でも細かいことが気にならない気ソが、こちらの人の良い面でもあり、悪い面でもあります。 譜緕メさんのレベルは、もちろん個々人の資ソの問題でありますが、根っこのところでいかんともしがたい違いが横たわっているように思うのです。 

数年が経って、また別の親知らずが問題になったとき、今度は迷わず日本に一時帰国しました。 急ぎスケジュールの関係で二つの口腔外科で一本ずつ抜きましたが、ややこしい歯であるにもかかわらず、腕のいい先生方で、抜歯後の痛みは以前の経験と比べるとないも同然、よい意味でビックリ、驚きました。 日本では若く優秀な歯科医師が育っているなあと、感心しきりです。

帰りの飛行機でドイツ人と隣席になりました。 рェ英国に住んで長いと聞いて、彼は私に英国s民権を取って英国人にならないのか?と質問してきました。 イギリスは住むにはよいところで気に入っているけど、日本の医療システムは英国より上だし、個々の医師のレベルも日本の方が高いみたいで、日本人はやめられないよ、と抜歯後間もないだけに実感のこもった日本ゥ慢になった次第でした。

不器用でボタンかけが不得手なイギリス人といったら笑い話で済みますが、不器用な歯医者さんの割合が多いかも知れないイギリスミ会といったら、そこに住む人にとっては深刻な問題です。 まあ、そうは言っても大半のイギリス人はそんなふうには思っていないでしょう。 рヘイギリスミ会のよそ者なので、違いに敏感なところがありましょう。

ヴィクトリアン or エドワーディアン 折りたたみ 鉄製 ボタンフック





No. 18223 透かしの花 スティール ボタン
直径 2.4cm、本体の最大厚み 4mm、留め具を含む最大厚み 8mm、重さ 4g、(4つあります。)

閧ノした時の質感に惹かれました。 

しっかり出来たボタンで、触れ合うと感じのいい音がします。 

素材と質感のよさ、こうした味わいは古い品ならではのアンティークな楽しみと感じます。

透かしの花 スティール ボタン


No. 18224 アンカー デザイン ブラス ボタン
直径 2.3cm、重さ 4g、本体の最大厚み(留め具含まず) 5.5mm、留め具を含む最大厚み 1.15cm、ヴィクトリアン終り頃からエドワーディアン頃の英国製、(六つあります。)

アンカー デザイン ブラス ボタン


No. 16419 エドワーディアン スターリングシルバー ハンドル 靴べら
長さ 17.8cm、最大横幅 3.4cm、銀ハンドルの最大幅 2.3cm、銀ハンドルの最大厚み 1.0cm、重さ 47g、1905年 バーミンガム アセイオフィス、

エドワーディアンの靴べらで、ブレード部分はスティール、ハンドルはスターリングシルバーで出来ています。 ブレード部分がゆるやかに湾曲しているのは、現代の靴べらと同様な構造です。

ブラックスミス(鍛冶屋さん)とシルバースミスの共同作業から生まれたアンティークといえましょう。

ハ真O番目に見えるように、銀ハンドルにはメーカーズマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、バーミンガム アセイオフィスのアンカーマーク、そして1905年のデートレターがしっかり刻印されています。

金属細工人の中でも鍛冶屋さんをスミスあるいはブラックスミスと言いますが、蝸vな交通手段が馬や馬ヤであったヴィクトリア梠繧ノおいては、ブラックスミスはとても重要な職業で、どこの村にも鍛冶屋さんがありました。 カンタベリー大司教になったセント・ダンスタンは鍛冶屋さんでもあったという話がありますが、これなどは昔の時代にあっては鍛冶屋さんの役割が重要であった証左とも言えましょう。

各方面に技術が進歩した現代ではちょっと想像がつき難い所でありますが、昔の時代にあっては鍛冶屋さんは長いあいだ社会の先端技術メであり続けました。 もっと遠い昔、ヒッタイトの時代には鍛冶屋の技術を修めれば征服メにもなれたことに思いをいたしてみるのもよいでしょう。

知り合いに先祖が鍛冶屋さんだった方があって、その方は電気関係のエンジニアですが、科学全般に造詣が深く鍛冶屋の仕魔ノついても、いろいろ教えてもらいました。 赤錆、O_化鉄、黒K、五酸化鉄、鉄の焼入れ等々、Kも含めた鉄のコントロールについていろいろ習いました。 ごく簡単に言えば、赤錆は悪い錆びですが、黒K=l_化三鉄=トリアイアン・テトラオキサイド(triiron tetraoxide)は鉄を守るよい錆びです。 経験的に知っていたのかも知れませんが、こういう化学知ッも備えもって鉄をコントロールしてきたのが、昔の鍛冶屋さんであったのです。

ハ真のアンティークが作られた1905年といえば、日本では日露戦争で大変でした。 そして、この出来魔ノは写真のアンティークを作ったイギリスも大いに関係しております。 どんな時代であったのか、もう少し見てみましょう。 『中央新聞 1903年10・3日付』の「火中の栗」という風h画を見たことがあります。 コサック兵(露)の焼いている栗(満州)を、ジョンブル(英)に背中を押されて、日本が刀に手をかけて取りに行こうとしている風h画です。 1902年には日英同盟が結ばれています。 ロシアはシベリア鉄道の完成を急ぎ、大規模な地上軍が極東に向けて集結しつつあった当桙フ状況が描かれています。

開戦後の翌1904年には、こんどは世界j上の大海戦の行方に関心が集まっております。 バルト海、北海、大西洋、喜望峰を経て日本へ向かうロシアのバルチック艦隊の動きが注汲ウれ、当桙フイギリスでは日本海海戦の行方が大変な興味を持って見守られていたとの記録が残っています。

ロシアのバルチック艦隊は日本へ向けて航行中でした。 そして1904年10撃ノはイギリス沖合いの漁場ドッガーバンクで、漁船を日本の水雷艇と誤認したバルチック艦隊が、英国漁船砲撃膜盾引き起こして、英国世論が激高する事態となっています。 

日本に向かって戦争に行くロシア艦隊が、途中で英国漁船を何百発もの砲弾で打ち払って、間違いと分かった後には救助もせずに通り過ぎてしまったのですから、誰だって怒るだろうと思います。 

当桙フ日本とイギリスは日英同盟を結んでおりましたが、ドッガーバンク膜盾契機にイギリス世論もおおいに日本に味方しました。 そしてイギリス政府によるバルチック艦隊の航海妨害などナイスアシストもあって、日本海海戦に向けて有利な展開となったのは幸いでした。 

明治39年(1906年)には夏目漱石の『草枕』が出ております。 梠續w景は日露戦争中ですので、ちょうどこのアンティークと重なっております。 東京を離れた温泉宿で非人情の旅をする画工の話ですから、当桙フ社会情勢がメインテーマではありませんが、それでも、出征していく若者を見送ったり、日露戦争や現実社会の影が背景に見え隠れしています。 昔の時代に思いを馳せるアンティークな資料として、рフお気に入りの一つです。

エドワーディアン スターリングシルバー ハンドル 靴べら



No. 16899 エドワーディアン スターリングシルバー ボタン
直径 2.8cm、留め具を含む最大厚み 6mm、重さ 5g、1902年 ロンドン、
今から百年以上前のエドワーディアン初期に作られたスターリングシルバーの飾りボタンです。 型押しで調整した後に、透かしの断面は糸鋸を使った手仕魔塔Y麗に仕上げてあります。 百年以上前の時代だからこそ出来た労働集約的な仕鱒Uりであって、今日では手に入れにくいアンティークならではのよさが感じられます。 

ボタンを時計に見立てて五時の辺りに、ブリティッシュ ホールマークがしっかり深く刻まれています。 ホールマークは順にスターリングシルバーを示すライオンパサント、ロンドン レオパードヘッド、そして1902年のデートレターになります。

16898 銀ボタンと一緒に求めたものですが、二つの銀ボタンを見比べていただくと、ブリティッシュ ホールマークが刻印されている位置が、l桾戟Eニ五時方向というように違っております。 そして、さらに二つを並べてじっくり観察していくと、透かし部分の形状や長さや幅も違っていることが分かります。  これらの品が作られたのは百年以上前のことですので、作業工程はそれほど機械化されておらず、当桙フエドワーディアンの仕魔ェハンドワークに近いものであったことが窺えます。

同じシルバースミスが一緒に作った銀ボタンなのに、個体差が目に見えて、それぞれに個性を持っていることは、現代の規格化された工業製品ではありえない特徴であって、誰かがこれを作ったんだなあという、人の温かみを感じさせます。 古い二つの品を手にして比べてみると見えてくる、こういうことが、アンティークならではの面白さと感じます。

アンティークを手にしていると、人のぬくもりを感じることが多いですが、アンティークをきっかけに、その国の人たちの文化や伝統について考えてみるのも楽しいことだと思います。 英国アンティーク情報欄の「27.ホールマーク漏れと英国人気ソ」解説記魔烽ツいでにご覧ください

この銀ボタンのモチーフについて考えてみました。 身分の高そうな女性と、差し出された右閧フ甲にキスする男性の服装から判断して、梠續w景は17世紀から18世紀頃と思われます。 当桙フ貴族社会においては、こうしたキスは挨拶の一つの形ョでありましたので、この二人は特別に関係が深い間柄というわけではないでしょう。 物語の一場面と考えられますが、特定するには至っておりません。 女性が杓杖を手にしているのが何かヒントになるかも知れません。 

これまでに扱ってきた銀ボタンがいくつかありますが、ホールマークから分かる製作年は、ヴィクトリア梠繧ゥらエドワーディアンの時代に移った1900年を起点にして前後十数年ほどの間にかたまっているようです。 銀ボタンが当棊ャ行ったということなのか、興味を惹かれます。 比較的に製作年代が短い期間に集まっているアンティークというのは、コレクターとしてはその道の専門家になりやすいというメリットもありましょう。
エドワーディアン スターリングシルバー ボタン


No. 16400 アール・デコ マッピン & ウェブ スターリングシルバー ハンドル ボタンフック
長さ 18.7cm、銀ハンドルの最大幅 2.1cm、銀ハンドルの最大厚み 0.8cm、重さ 37g、1926年 ロンドン アセイオフィス、Mappin & Webb作、

マッピン & ウェブのボタンフックになります。 表側のハンドル部分デザインは丸に三本直線、裏側は丸なしの三本直線となっていて、円や直線の幾何学デザインは当桙フ流行であったアール・デコを色濃く反映しております。

ハンドル部分はスターリングシルバーになり、1926年のデートレターとロンドン レオパードヘッドが刻印されています。 その横にある刻印は判読がむずかしいですが、スターリングシルバーを示すライオンパサントでありましょう。 裏面のメーカーズマークは読み取りにくいですが、一緒に求めた靴べらがマッピン & ウェブ製でしたので、同一メーカー製で間違いないでしょう。 さらに加えて、シルバー部分に小さな文字で「MADE IN ENGLAND」の刻印があります。

これまで Mappin & Webbの靴べら&ボタンフックを見たことがなかったのですが、有名どころの銀工房ですので、あって不v議はありません。 この品が作られた1926年といえば、英国の高級銀製品工房として、マッピン & ウェブがその地位を確立していく頃にあたっていることから、マッピン & ウェブが取り扱い銀製品の幅を広げる過程で登場してきた品物であったと推@しております。

このあたりの経緯については、マッピン&ウェブ P&O シルバープレート テーブルスプーンの説明記魔烽イ参考ください。

これまでにいくつか似たタイプのボタンフックをご紹介してきましたが、ハ真の品は特に頑丈に作られているように思います。 スティール部分の最大直径が6ミリ強あって、しっかりした作りとなっています。

ハ真二番目に見えるフック部分の表ヲは、フックの素材がスティールであることを示す「STEEL」と、英国製であることを示す「ENGLISH MAKE」の刻印です。 

表側のハンドル部分デザインは丸に三本直線、裏側は丸なしの三本直線となっていて、円や直線の幾何学デザインはアール・デコの特徴です。

1920年代、30年代はアール・デコの時代ですが、ヴィクトリアンあるいはエドワーディアンの伝統的で凝ったシルバーデザインとは大きく異なる変更が、この時代にあったことは、とても興味深いと思います。 ある解説によれば、このデザイン上の大きな断絶を生み出した最大の要因は第一次大戦だったと言われています。 当桙フ人たちはヴィクトリアンとエドワーディアンの輝かしい伝統の延長上に世界大戦が起こったことに大きなショックを覚え、ポストワーの時代には、昔の時代から距離を置きたいと望む風潮が強く、そこにアール・デコがぴたりとはまったというわけです。 

アール・デコについてはいろいろな説明がありますが、この解説はかなり言いえているように思います。 イギリスを隅々まで旅してみて、どんな小さな田ノの村にも、第一次大戦の戦没メを悼む記念碑が建っているのを知りました。 英国人の暮らしを根底から揺るがした出来魔ナあったことが想像されるのです。

ちなみに、ボタンフックの使い方は次のようです。 まずボタン穴の表側からフックの先端を差し込みます。 氓ノフックの先端でボタンの根元を絡め取ります。 最後にボタンを絡めたフックをゆっくりボタン穴から引き出すとボタンかけが完了します。

ボタンフックというのは、イギリスでは時々見かける小道具なのですが、こうした道具が使われる背景に思い当たることがあります。

歴史的にみても、日本ではあまり使われて来なかったと思います。 あったら便利な場合もあるので、特に介護用品としてこれから普及していく可能性はありましょう。 でも普通には、わざわざボタンフックを使うことはあまりなさそうです。

それでは、イギリスで使われてきた背景はどういうことでしょうか。 日本より寒冷な気候のイギリスですから、寒くて指先がかじかんだ時などは確かに便利です。 闡ワをしたままでもボタンかけOKという利点もあります。

また、大きな歴史観から眺めてみると、ヴィクトリア梠繧ヘイギリスミ会の青年期にあたっており、ミ会経済に活気があって、大いなる発明時代でありましたことから、ちょっとしたことでも専用道具を作り出す傾向はあったと考えられます。

ただ、より大きな要因としてもう一つ、イギリス人って日本人より総じて不器用な人が多いことが、ボタンフックの普及にも関係しているように思います。 рフことで申し上げると、特に印象深いのは歯医者さんでの経験です。 以前にこちらの歯医者さんで親知らずを抜いた時、術後しばらく痛み止めを飲んでも大変な苦労をしました。 親知らずがややこしいタイプで簡単でなかったことを割り引いても、こちらの歯医者さんの器用さ加減に疑問がありました。

日英の平均レベルで考えても、こちらの人は体も大きめで手も大きい、器用さのレベルは低そうだと疑っています。 また、メンタル面でも細かいことが気にならない気ソが、こちらの人の良い面でもあり、悪い面でもあります。 譜緕メさんのレベルは、もちろん個々人の資ソの問題でありますが、根っこのところでいかんともしがたい違いが横たわっているように思うのです。 

数年が経って、また別の親知らずが問題になったとき、今度は迷わず日本に一時帰国しました。 急ぎスケジュールの関係で二つの口腔外科で一本ずつ抜きましたが、ややこしい歯であるにもかかわらず、腕のいい先生方で、抜歯後の痛みは以前の経験と比べるとないも同然、よい意味でビックリ、驚きました。 日本では若く優秀な歯科医師が育っているなあと、感心しきりです。

帰りの飛行機でドイツ人と隣席になりました。 рェ英国に住んで長いと聞いて、彼は私に英国s民権を取って英国人にならないのか?と質問してきました。 イギリスは住むにはよいところで気に入っているけど、日本の医療システムは英国より上だし、個々の医師のレベルも日本の方が高いみたいで、日本人はやめられないよ、と抜歯後間もないだけに実感のこもった日本ゥ慢になった次第でした。

不器用でボタンかけが不得手なイギリス人といったら笑い話で済みますが、不器用な歯医者さんの割合が多いかも知れないイギリスミ会といったら、そこに住む人にとっては深刻な問題です。 まあ、そうは言っても大半のイギリス人はそんなふうには思っていないでしょう。 рヘイギリスミ会のよそ者なので、違いに敏感なところがありましょう。

メーカーは言わずと知れた有名工房ですが、このシルバースミスの歴史をご紹介しましょう。

マッピン関連のアンティークを扱っていると、「Mappin & Webb」とよく似た名前の「Mappin Brothers」というシルバースミスに出会うことがあります。
「Mappin Brothers」は1810年にジョセフ マッピンが創業した工房で、彼には四人の後継ぎ息子がありました。l人は上から順にフレデリック、エドワード、チャールズ、そしてジョンで、年長の者から順番に父親の見習いを勤めて成長し、1850年頃には引退した父ジョセフに代わって、l兄弟が工房を支えていました。

ところが末っ子のジョンは、工房の運営をめぐって次第に兄たちと意見が合わなくなり、ついに1859年には「Mappin Brothers」を辞めて独立し、「Mappin & Co」という銀工房を立ち上げました。 以後しばらくの間、「Mappin Brothers」と「Mappin & Co」は「元祖マッピン家」を主張しあって争うことになります。

しかし最初のうちは「Mappin Brothers」の方が勢力があったこともあり、1863年には末っ子ジョンの「Mappin & Co」は「Mappin & Webb」に改名することとなりました。 Webbというのはジョンのパートナーであったジョージ ウェブの名から来ています。

「元祖マッピン家」問題では遅れをとったジョンでしたが、兄たちよりも商売センスがあったようです。 スターリングシルバー製品以外に、シルバープレートの普及品にも力を入れ、目新しい趣向を凝らした品や新鮮なデザインの品を次々と打ち出し、しかも宣伝上手だったのです。 ヴィクトリアン後期には当桙フ新興階級の間でもっとも受け入れられるメーカーに成長し、それ以降のさらなる飛躍に向けて磐石な基盤が整いました。

20世紀に入ってからの「Mappin & Webb」は、「Walker & Hall」や「Goldsmiths & Silversmiths Co」といったライバルの有名メーカーを次々にその傘下に収めて大きくなり、今日に至っています。 また、「Mappin Brothers」ですが、梠繧フ波に乗り切れなかったのか、1902年には「Mappin & Webb」に吸されてしまっています。 ただ、その頃には三人にお兄さん達はとっくの昔に引退しており、後を継いだエドワードの息子さんも引退して、マッピン家のゆかりはいなかったようです。 そうこう考えると、ジョージアンの創業で、ヴィクトリア梠繧ノ二つに分かれたマッピンが、エドワーディアンに入ってまた一つの鞘に戻れたことはよかったのかなとも思うのです。

アール・デコ マッピン & ウェブ スターリングシルバー ハンドル ボタンフック


No.16554 ヴィクトリアン 靴べら with スティールブレード & スターリングシルバー ハンドル
長さ 17.5cm、重さ 38g、ブレード最大幅 3.1cm、ハンドル最大幅 1.1cm、ハンドル最大厚み 1.1cm、ヴィクトリアン終り頃の英国製、

ヴィクトリアン終り頃に作られたアンティークな靴べらです。 ブレード部分の柄に近いあたりには「STEEL」の刻印があります。 ブレード部分がゆるやかに湾曲しているのは、現代の靴べらと同様な構造です。 ホールマークはありませんが、ハンドルの素材はスターリングシルバーで間違いないでしょう。

ブレード部分の色合いに赤みが見えるのは、空の夕焼けが映っているもので、タ際には赤みはさしていません。 ブレード部分に黒Kが出ていますが、このブレードのお手入れ状況は良好で、表面を指先で触れてみても滑らかスムーズで、今日でも実用に十分なワーキングコンディションを備えています。 

閧ノしてじっくり眺めていると、大切にお手入れされながら、今日に至っているアンティークであることが、よく伝わってくるヴィクトリアーナと感じます。

ハンドルのデザインはウェーブパターンと、植物の葉っぱ、アイビーではないかと思いますが、あわせて植物文様と波模様の融合デザインで、閧ノなじむとともに、滑り止めとしての実用性も兼ね備えています。

ハ真のようなアンティークは、ブラックスミス(鍛冶屋さん)とシルバースミスの共同作業から生まれたアンティークの典型と言えましょう。

金属細工人の中でも鍛冶屋さんをスミスあるいはブラックスミスと言いますが、蝸vな交通手段が馬や馬ヤであったヴィクトリア梠繧ノおいては、ブラックスミスはとても重要な職業で、どこの村にも鍛冶屋さんがありました。 カンタベリー大司教になったセント・ダンスタンは鍛冶屋さんでもあったという話がありますが、これなどは昔の時代にあっては鍛冶屋さんの役割が重要であった証左とも言えましょう。

各方面に技術が進歩した現代ではちょっと想像がつき難い所でありますが、昔の時代にあっては鍛冶屋さんは長いあいだ社会の先端技術メであり続けました。 もっと遠い昔、ヒッタイトの時代には鍛冶屋の技術を修めれば征服メにもなれたことに思いをいたしてみるのもよいでしょう。

知り合いに先祖が鍛冶屋さんだった方があって、その方は電気関係のエンジニアですが、科学全般に造詣が深く鍛冶屋の仕魔ノついても、いろいろ教えてもらいました。 赤錆、O_化鉄、黒K、五酸化鉄、鉄の焼入れ等々、Kも含めた鉄のコントロールについていろいろ習いました。 ごく簡単に言えば、赤錆は悪い錆びですが、黒K=l_化三鉄=トリアイアン・テトラオキサイド(triiron tetraoxide)は鉄を守るよい錆びです。 経験的に知っていたのかも知れませんが、こういう化学知ッも備えもって鉄をコントロールしてきたのが、昔の鍛冶屋さんであったのです。

ヴィクトリアン 靴べら with スティールブレード & スターリングシルバー ハンドル





No. 15890 エンジェル モチーフ エドワーディアン 靴べら with スターリングシルバー ハンドル & スティールブレード
長さ 18.5cm、最大横幅 3.4cm、銀ハンドルの最大幅 1.8cm、銀ハンドルの最大厚み 1.0cm、重さ 56g、1905年 バーミンガム アセイオフィス、

エンジェル モチーフ エドワーディアンの靴べらで、ブレード部分はスティール、ハンドルはスターリングシルバーで出来ています。 ブレード部分がゆるやかに湾曲しているのは、現代の靴べらと同様な構造です。

ブラックスミス(鍛冶屋さん)とシルバースミスの共同作業から生まれたアンティークといえましょう。

銀ハンドルにはメーカーズマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、バーミンガム アセイオフィスのアンカーマーク、そして1905年のデートレターがしっかり刻印されています。 また、反対サイドにもバーミンガム アセイオフィスのアンカーマークと1905年のデートレターが刻印されています。

ブレードはスティールなので錆びが出ているところもありますが、基本的には赤錆が除けておりますことから、これからもお手入れしだいで、いい感じなエドワーディアン アンティークとして保っていけるでしょう。

金属細工人の中でも鍛冶屋さんをスミスあるいはブラックスミスと言いますが、蝸vな交通手段が馬や馬ヤであったヴィクトリア梠繧ノおいては、ブラックスミスはとても重要な職業で、どこの村にも鍛冶屋さんがありました。 カンタベリー大司教になったセント・ダンスタンは鍛冶屋さんでもあったという話がありますが、これなどは昔の時代にあっては鍛冶屋さんの役割が重要であった証左とも言えましょう。

各方面に技術が進歩した現代ではちょっと想像がつき難い所でありますが、昔の時代にあっては鍛冶屋さんは長いあいだ社会の先端技術メであり続けました。 もっと遠い昔、ヒッタイトの時代には鍛冶屋の技術を修めれば征服メにもなれたことに思いをいたしてみるのもよいでしょう。

知り合いに先祖が鍛冶屋さんだった方があって、その方は電気関係のエンジニアですが、科学全般に造詣が深く鍛冶屋の仕魔ノついても、いろいろ教えてもらいました。 赤錆、O_化鉄、黒K、五酸化鉄、鉄の焼入れ等々、Kも含めた鉄のコントロールについていろいろ習いました。 ごく簡単に言えば、赤錆は悪い錆びですが、黒K=l_化三鉄=トリアイアン・テトラオキサイド(triiron tetraoxide)は鉄を守るよい錆びです。 経験的に知っていたのかも知れませんが、こういう化学知ッも備えもって鉄をコントロールしてきたのが、昔の鍛冶屋さんであったのです。

エンジェル モチーフ エドワーディアン 靴べら with スターリングシルバー ハンドル & スティールブレード


No. 18975 ブラス イギリス砲兵 飾り
縦の長さ 4.7cm、横の長さ 6.4cm、最大厚み(留め具含まず) 5mm強、重さ 19g、
帽qにつけたり、胸のポケットに付けたりするブラス素材のイギリス砲兵隊の飾りです。 大砲の車輪部分の中央が最大厚みで5ミリほどにあります。 素材は厚めで持ちはかりがあり、しっかり作られている印象です。

ブラスのお手入れについては、ブラス専用の磨き液がありますので、ご紹介しておきましょう。 рヘReckitt & ColmanミのBrassoという磨き液を使っています。 スペイン製ですが、なぜか缶の表には英国王室御用達のQE2マークがあります。 イギリスの方はブラスが好きで、マナーハウスのドアノブ、パブのカウンター、ホテルの調度品等、昔から英国風には欠かせない素材であったことが関係あるのかも知れません。

それから日本でも簡単に手に入るお手入れ用品として、日本磨料工業製の『ピカール』という品もあります。 ピカールはブラス(真鍮)以外にもあらゆる金属に使えるのみならず、プラスチック、象牙、管楽器等のお手入れに使用可能と書いてありました。 ピカールの方が用途が広くて便利かも知れません。
ブラス イギリス砲兵 飾り


No. 18974 ロイヤルネイビー アンカー ボタン
大きいボタン直径 2.6cm、最大厚み(留め具含まず) 6.5mm、小さいボタン直径 2.2cm、最大厚み(留め具含まず) 5.5mm、1920年代の英国製、
ロイヤルネービーのアンカーボタンです。 ハ真二番目で見えるように、素材の硬ソプラスチックにブラスの留め具が埋め込まれており、細工のよいボタンと思います。 

モチーフとしてのアンカーにはかなり古い歴史があります。 世界jで習ったローマ梠繧フカタコンベには、クロスに見立てたアンカーがありました。 当桙ヘキリスト教が国教となる以前のことで、アンカーをクロスの代用とすることで信仰を守る必要があった時代でした。

そうした背景があって、アンカーは初期のクリスチャンモチーフとなりました。 そしてアンカーのクロス的側面を重汲キる場合には、アンカーのことを「聖クレメントのクロス」とか、「マリナーズ(船乗りの)クロス」と呼びます。 さらに時代が下って、ヴィクトリアン後期からエドワーディアンの頃になると、イギリスではシーサイドリゾートが人気となり、マリンモチーフのファッション性が好まれました。 

クリスチャンモチーフとしてのアンカーには、クロスの代用という意味合いの他にも、「Hope(希望)」や「Steadfastness(しっかりしていること)」を表象する意味合いも含まれています。 あるいはまた、船が抜錨して次の目的地に向かうという連想から、「Fresh Start(新たな出発)」をシンボライズするモチーフともなっています。
ロイヤルネイビー ボタン 裏面の写真


No.18973 ブラス製 RAF ロイヤル エアー フォース(英国空軍) ピアストワーク 徽章
高さ 4.3cm、最大横幅 3.9cm、ピンの長さ 4.3cm、重さ 10g、

ブラス磨きでお手入れすれば、ピカピカになろうかと思いますが、まずは求めたままの様qです。 これもまた、年撃フ経過が醸し出されており、渋い味わいが感じられます。

ブラス製 RAF ロイヤル エアー フォース(英国空軍) ピアストワーク 徽章

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