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No. 20048 ヴィクトリアン クラウン銀貨 ペンダントヘッド with シルバーフレーム
直径 4.05cm、重さ 32g、留め具を含む縦長 5.0cm、銀のフレーム最大厚み 4mm、クラウン銀貨の鋳造年 1890年、一万七千円

ヴィクトリアンのクラウン銀貨がシルバーフレームに入ったペンダントヘッドです。大きくて、ずっしりしています。デザインはセント・ジョージがドラゴンを退治している様子で、反対サイドはヴィクトリア女王の横顔です。 

馬に乗ったセント・ジョージにドラゴンが踏みつけられているのは、ちょっとかわいそうですが、このドラゴンは王様の娘を生贄として食べようとした悪いドラゴンなので、仕方がありません。

セント・ジョージは古代ローマ時代の殉教者で、そのドラゴン退治伝説は元々グルジアに起源があり、キリスト教徒にとっては共通のバックグラウンドになります。歴史を紐解けば、遠く遡ること五世紀のフランク王国メロビング朝をはじめとして、いろいろな国々で守護聖人として大事にされてきました。


元祖セント・ジョージの国であるグルジア共和国に行ったことがあります。日本語ではグルジアと言いますが、英語では Georgia であって、この国名はSt. George(セント・ジョージ)そのもの。 歴史的にもセント・ジョージのドラゴン退治伝説は元々グルジア起源です。

グルジア国はトルコ共和国の東方、黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈の山あいに位置しています。

首都トビリシ丘陵にある公園までケーブルカーで登って、途中にあったスターリンのお母さんのお墓だというのを見せてもらった記憶があります。当時は旧ソ連邦の民警の人が後をつけて見張っていました。

コインなのに、どこを見ても五千円とか一万円といった数字の記述がないのは不思議な気がしますが、クラウン銀貨はヴィクトリア時代の5シリング(=0.25ポンド)にあたります。 クラウン(王冠)銀貨という名前が示しているように、この銀貨はヴィクトリア時代の最高額銀貨でありました。サイズが大きく重たいので実用向きとは言えず、しまっておかれることも多かったようです。 

ヴィクトリア時代のイギリスはセント・ジョージを好んで、金貨や銀貨のデザインとして採用したり、白地に赤十字のセント・ジョージ・クロスをイングランドの国旗として採用したりしてきたので、今では他の国々より一歩抜きん出て、自由の女神がアメリカを象徴するかのように、セント・ジョージ=イングランドのような感じになって現代に至っています。

サッカーのワールドカップで、セント・ジョージ・クロス旗で応援されるイングランドチームを見せつけられると、本当はキリスト教世界の共通バックグランドであるセント・ジョージ ブランドを、やはり他の国は英国に譲らざるを得ない、そんな雰囲気でしょうか。

遠い昔の銀貨というのは、なんというか、トレジャーハントに通じるロマンを感じますし、クラウン(王冠)銀貨という名前も素敵ですし、大きくてシルバーの重みを感じさせてくれるヴィクトリアンのゴージャス感が好きです。

重くて豪華な印象からも想像はつきますが、クラウン銀貨は当時としても相当額であったようで、そのために使用頻度が低いままに保存されて今に至っている銀貨もあるようです。 ではいったい、クラウン銀貨はヴィクトリア時代にどのくらいの価値を持っていたのでしょうか、それを知るために当時と現在の物価について比較できる情報を集めてみましょう。

Roger Bootle氏の「The Death of Inflation」という本によれば、ヴィクトリア時代は長期にわたって物価が安定した時代だったようです。 例えば、ロンドンタクシーの前身である乗合馬車の初乗り運賃は1694年に1マイル当り1シリング(つまり現代の0.05ポンド)と設定され、この運賃がヴィクトリア時代を通じて変わらなかったことが紹介されています。 今日、ロンドンタクシーで1マイル乗ると、渋滞がなければ3.5ポンドほどですが、実際には5ポンドほどかかるのではないでしょうか。 この比較でみると、今日の物価はヴィクトリア時代と比べて70倍から100倍になっていると考えられます。 

また、シャーロック・ホームズの話には、ヴィクトリア時代の給料や家賃についての記述があるので検討してみると、ロンドン ロンバート街の株式ブローカーの週給が3ポンドとか、郊外のこぎれいな別荘の年間家賃が80ポンドなどとあり、この面から見てもやはり、ざっくり100倍とみてよさそうです。

それから、『特命全権大使 米欧回覧実記(二)(英国編)』によれば、バーミンガムのペン製造工場について以下のような記述があります。 「ウェルス氏会社のペン製造場に至る。...中略...職人に婦人多し、その給料は一日に平均2シリング半、」

そうしますと、クラウン銀貨とは比較的高給なロンドンのサラリーマンが一日働けば二枚得られる金額で、ペン工場の事例で言えば二日分の日給に当たる金額になります。

『特命全権大使 米欧回覧実記(二)(英国編)』については、英国アンティーク情報欄の「10.エルキントン社のシルバープレート技術と明治新政府の岩倉使節団」の記事後半の解説もご参考ください。

百年以上昔の金銀複本位制とはどんなものか、もう少し考えてみましょう。

ヴィクトリア時代にはクラウン銀貨、ハーフクラウン銀貨、シリング銀貨などが流通していました。 ここで1クラウンは5シリング(=0.25ポンド)にあたります。 それぞれの重さはクラウン銀貨28.28グラム、半クラウン銀貨14.14グラム、シリング銀貨5.66グラムです。 すなわちクラウン:半クラウン:シリング=5:2.5:1の関係がありました。 つまりは、ヴィクトリア時代のマネーは銀の重さによって、その価値が直接保証されていたのです。

さらに、高額貨幣であった金貨を通じて外国との関係を見てみましょう。 ヴィクトリア時代のイギリスでは、1ポンドの英国金貨は7.32グラムのゴールドとして定義されました。 そして米国の1ドルは1.50グラムのゴールドと1837年に決められました。 そうすると、金本位制を採用する英米二国間においては、1ポンドが4.88ドルとなって為替レートは固定されます。

この金本位制の仲間に、マルクやフランや円も加わることによって、国際金本位通貨体制が出来ていました。 ノーベル経済学賞のマンデル教授は、その本質を分かりやすく表現しています。 「国際的な金本位制のもとでは、ポンド、フラン、マルク、円、ドル等々は、特定の重さのゴールドの名前にすぎない。」

現代では主要な通貨間では変動為替相場が一般ですが、ヴィクトリア時代の国際社会においては、ゴールドをアンカーにした固定為替相場がスタンダードであったのです。 
ヴィクトリアン クラウン銀貨 ペンダントヘッド with シルバーフレーム



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