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No.20044 マッピン&ウェッブ シルバープレート ティー or コーヒー ポット
蓋のつまみまでの高さ 19.0cm、注ぎ口先端からハンドルまでの長さ 17.2cm、ボディの最大直径 9.8cm、重さ 512g、容量 1.5
Pint(=855ml)、Mappin & Webb作、二万四千円
古い品ではありますが、とてもコンディションがよろしくて、綺麗なまま現在に至っているところが嬉しいマッピン&ウェブのポットです。
容量は1.5パイントですから、イギリスで言えば中型サイズのポットになりましょう。
実際に使ってみて、ポットのお湯残量が多い時でも少ない時でも、すっきり気持ちよくお湯切れします。 ハンドルには指かけもありますので扱いやすく出来ています。
蓋のつまみは取り外しが出来ます。 時々のクリーニングが容易に出来ましょう。 ヒンジがしっかりした作りであるところも、メーカーのよさを表しているように思います。
写真四番目に見えるように、裏面には 「1 1/2
PINT」の表示があり、これは容量を示しておりますが、英国風な
Pint 表示となっています。 1と1/2パイントですから、570ml*1.5=855mlです。 他に「MAPPIN
& WEBB」のメーカー名や、「LONDON &
SHEFFILD」の文字などが見えています。
アンティークのポット一般に言えることですが、大きくて重たい品が多く、そこへさらにティー
or コーヒーが入るとなると、重くて持つのが大変です。 このポットの容量ですと、英国アンティーク ポットとしては小振りから中程度の大きさになりますが、日本の急須の感覚から言えばそれでも十分に大きく、一人か二人で日常使いするにはちょうどよいサイズと思います。 「大は小を兼ねる」ということでお一人用、あるいは普通にはお二人用としてお使いいただけるでしょう。
ティーやコーヒーがお好きな方なら、書斎の机にこのポットを置いて、仕事や勉強をしながら毎日親しめるアンティークはいいものです。 可愛らしいアンティークで、日常使いに欠かせないポットになろうかと思います。
この品を作ったメーカーである 「Mappin & Webb」の名前に惹かれたこともあって求めました。 このティーポットを作った「Mappin
& Webb」は言わずと知れた有名メーカーですが、その歴史は興味深いので、少し振り返って見ておきましょう。
マッピン関連のアンティークを扱っていると、「Mappin
& Webb」とよく似た名前の「Mappin Brothers」というシルバースミスに出会うことがあります。
「Mappin Brothers」は1810年にジョセフ マッピンが創業した工房で、彼には四人の後継ぎ息子がありました。四人は上から順にフレデリック、エドワード、チャールズ、そしてジョンで、年長の者から順番に父親の見習いを勤めて成長し、1850年頃には引退した父ジョセフに代わって、四兄弟が工房を支えていました。
ところが末っ子のジョンは、工房の運営をめぐって次第に兄たちと意見が合わなくなり、ついに1859年には「Mappin
Brothers」を辞めて独立し、「Mappin &
Co」という銀工房を立ち上げました。 以後しばらくの間、「Mappin
Brothers」と「Mappin & Co」は「元祖マッピン家」を主張しあって争うことになります。
しかし最初のうちは「Mappin Brothers」の方が勢力があったこともあり、1863年には末っ子ジョンの「Mappin
& Co」は「Mappin & Webb」に改名することとなりました。 Webbというのはジョンのパートナーであったジョージ ウェブの名から来ています。
「元祖マッピン家」問題では遅れをとったジョンでしたが、兄たちよりも商売センスがあったようです。 スターリングシルバー製品以外に、シルバープレートの普及品にも力を入れ、目新しい趣向を凝らした品や新鮮なデザインの品を次々と打ち出し、しかも宣伝上手だったのです。 ヴィクトリアン後期には当時の新興階級の間でもっとも受け入れられるメーカーに成長し、それ以降のさらなる飛躍に向けて磐石な基盤が整いました。
20世紀に入ってからの「Mappin & Webb」は、「Walker
& Hall」や「Goldsmiths & Silversmiths
Co」といったライバルの有名メーカーを次々にその傘下に収めて大きくなり、今日に至っています。 また、「Mappin
Brothers」ですが、時代の波に乗り切れなかったのか、1902年には「Mappin
& Webb」に吸収されてしまっています。 ただ、その頃には三人にお兄さん達はとっくの昔に引退しており、後を継いだエドワードの息子さんも引退して、マッピン家のゆかりはいなかったようです。 そうこう考えると、ジョージアンの創業で、ヴィクトリア時代に二つに分かれたマッピンが、エドワーディアンに入ってまた一つの鞘に戻れたことはよかったのかなとも思うのです。
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