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No. 15709 Peter & William Bateman ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ティースプーン SOLD
長さ 12.5cm、重さ 14g、ボール部分の長さ 4.3cm、最大幅 2.6cm、ボールの深さ 6mm、柄の最大幅 1.15cm、1806年 ロンドン、Peter & William Bateman作、SOLD

このスターリングシルバー ティースプーンは今から二百年ちょっと前の1806年作で、英吉利物屋の扱い品の中にあってもかなり古い品になります。 二百年という圧倒的な古さは、やはりアンティークとして大きな魅力になりましょう。  

写真二番目のホールマークは順に メーカーズマーク、ジョージ三世の横顔でデューティーマーク、1806年のデートレター、そしてスターリングシルバーを示すライオンパサントになります。

メーカーズマークの刻印があまいのですが、刻印全体の形や文字列の様子、「PB,WB」のうちPとWが判読できること、またBの一部も見えることから、Peter & William Batemanで間違いないところです。

品物名にあります「ジョージ三世」ですが、1760年から1820年までの英国王ジョージ三世時代は長かったので、アンティークにおいても、この時代の品には「ジョージ三世...」と接頭辞のように国王の名前を冠することが多いのです。 

数多いシルバーウェアの中でもベイトマン ファミリーの品は別格に扱われることが多いようです。 一つには二百年に近い年月を経ているということがあるでしょう。 しかしそれでも、なぜ?と思われる方も多いはずです。 手にとって直に見てみると、ボール部分が先細なタイプで品の良さを感じ、柄の曲線のなんとも言えない優雅さ、手仕事のみが生み出す温かさが多くの人を惹きつけてきた要因であることがわかります。 

そうは言っても、ベイトマン以外のオールドイングリッシュ パターンの品とここがどうしても違うとは私は思わないのですが。 結局のところベイトマンがアンティークシルバーにおいて別格なのは、鶏が先か卵が先かの議論にもなりますが、コレクターの需要が強いからということになるのでは、と思います。

ベイトマン ファミリーの系譜については、 「19.ベイトマン ファミリーのメーカーズマーク」の解説記事もご参考ください。 また、オールド イングリッシュ パターンについては、「4.イングリッシュ スプーン パターン」を、そしてデューティーマークについては、「5.シルバーホールマークとジョージアンの国王たち」解説記事の後半もご覧ください。

かなり古いスプーンをお求めいただいたお客様から、ジョージアンの時代に銀器を使っていた人たちはどんな人たちだったのかというご質問をいただきました。 遠い昔に銀器を使っていたのは豊かな人たちであったに違いありませんが、この問題はよく考えてみると、もっと奥の深い問題であることが分かります。

ジョージアンの時代に銀器を使っていた人たちは、百年ほど前のヴィクトリアン後期に銀器を持っていた人たちよりも、一段と社会階層が上のお金持ちだったと思われます。 ジョージアンの時代には、まだまだ銀は社会の上層階級の占有物であったからです。 ヴィクトリア期には英国の経済力も大いに伸長したので、ヴィクトリアン後期の英国では銀器が新興富裕層にまで普及し、その裾野が広がりました。 つまり銀器を使った昔のお金持ちといっても、ジョージアンの時代とヴィクトリアンの時代ではその意味合いや程度が大きく異なるのです。

「International Hallmarks on Silver」という本に、過去の銀世界生産量推計という面白い資料がありました。 その資料によれば、1830年当時の年間生産量は460トンほどで、ヴィクトリア時代最後の1900年は5400トンとあります。 時代と共に生産量が十倍以上に増しているわけですが、逆にみると、より昔の時代における銀の希少性について、お分かりいただけるのではないでしょうか。

ジョージアンとヴィクトリアンでは銀のスプーン一本を取ってみても、そのステータスシンボルとしての価値はかなり違っていたわけです。 もっと詳しく知るためには、英国社会史や経済史の理解が不可欠になりましょう。 これからも少しずつ調べて、個々のアンティークが持つ時代背景について、英吉利物屋サイトでお伝えしていければと思っています。

銀の価値を考えているうちに、もしこの銀スプーンを江戸時代にタイムスリップさせたら、いったいどのくらいの価値があったものだろうかと思考実験をしてみました。 当時の英仏独伊といった国々のスタンダードは金銀複本位制で、銀の地金はマネーと等価であり、各国通貨への換算額も容易に計算できます。 ところが、江戸時代の日本では違った貨幣制度が採用されておりましたので、ややこしいところがあります。 

例えば時代劇など見ておりますと、両替商というのが出てきて、しばしば御奉行様と結託しては悪事を働いたりしております。 両替商の仕事といっても、鎖国の江戸時代に、海外旅行用の外貨両替なんてことはありえません。 それでは、この両替商はいったい何を両替していたのでしょうか。 江戸時代の日本では、金貨である小判と、銀貨、そして寛永通宝といった銭、これら三種マネーの交換レートが市場にまかされており、変動相場制になっていました。 極論すれば、ドルとユーロとポンドというレート変動する三通貨が一国の中で流通していたようなもので、そこに両替商の存在意義があったのです。

そんなわけで、写真の銀スプーンは一種の銀地金でありますが、江戸時代のマネーに換算するには、小判か銀貨か銭か、難しさが伴うのです。

ここでは、なるべく簡単な試算ということで、天保一分銀への銀地金換算をしてみましょう。 イギリスでヴィクトリア時代が始まった1837年は、日本では天保8年にあたり、この年から天保一分銀の鋳造が始まっています。 天保一分銀は江戸時代の中でも、特にエポックメイキングな銀貨であって、それがまたヴィクトリアンと重なっていることから、この銀貨について少し詳しくなるのもよいでしょう。

天保一分銀の重さは8.62グラム、銀純度は99%ほぼ純銀でした。 写真のスプーンは重さが14グラムのスターリングシルバーですから、銀の重さは14g*92.5%=12.95gとなります。 そうしますと、銀地金換算で、この銀スプーンは天保一分銀 1.5枚ということになります。 

これはざっくり言って黄金小判で三分の一強ということで、当時の国際標準からすると相当な金額になってしまうのです。 その理由は徳川幕府の貨幣制度にありました。 幕府は長い年月をかけて銀高金安誘導に成功し、天保一分銀の鋳造をもって、素材に銀を含むことから銀貨ではあることは間違いないけれども、その実態は銀高金安を固定する計数貨幣を完成させたのでした。 

江戸時代の人々は小判と銀貨を使ってはおりましたが、その貨幣制度は「自由な貨幣鋳造」が認められていなかったという点で、金銀複本位制というよりも、むしろ現代の管理通貨制度に近い仕組みでありました。 なお、「自由な貨幣鋳造」とは、人々が造幣局に持ち込んだ金銀の地金を、造幣局が金属的に等価な金貨あるいは銀貨と交換してくれることを意味します。 

Peter & William Bateman ジョージ三世 スターリングシルバー オールドイングリッシュ パターン ティースプーン


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