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No. 14754 ジャポニスム モチーフ ヴィクトリアン スターリングシルバー クレッセント ブローチ with アイビー & リボン飾り
横の長さ 4.1cm、最大縦長 2.1cm、最大厚み(留め具とピン含まず) 6mm、1896年 バーミンガム、一万六千円

今から百十年以上前のヴィクトリアン後期に作られたスターリングシルバー ブローチです。 当時はJapanese craze(日本趣味の大流行)の時代でしたので、メインモチーフの三日月はその影響と考えられます。 ヴィクトリア時代のイギリス人がジャポニスム研究のモチーフブックを参考にして作った作品です。

日本の意匠としての三日月は、武将が身に着けた鎧兜の飾りなどにも見られるわけですが、ヴィクトリアンのイギリス人の手にかかると、こんな可愛らしい三日月になってしまうのかと、興味を惹かれます。 

逆にもし、武将の鎧兜の三日月飾りにリボンが結んであったら、どうでしょう。 想像するに、その違和感はなんとも言えず、可笑しいことでありましょう。 同じ基礎資料を下敷きにしても、日本とイギリスで人や時代が異なると、こんな違いが出てくるのです。

クルッと巻いた立体構造のリボン飾りは、その表面にも繊細なハンドエングレービングが施されており、レベルの高い仕事振りと感じます。 クレッセントにアイビーやリボンといったモチーフの組み合わせも楽しくて、全体としてヴィクトリアンの素晴らしい職人技を堪能できます。 フレーム周りに配された銀の粒々飾りはグラニュレーションと呼ばれ、ヴィクトリア期に好まれた銀装飾の手法になります。 

裏面には四つのブリティッシュ ホールマークが刻印されています。 ホールマークは順にメーカーズマーク、スターリングシルバーを示すライオンパサント、1896年のデートレター、そしてバーミンガム アセイオフィスのアンカーマークになります。

1853年のペリー来航以来、日本の工芸が広く西欧に紹介され、英国シルバーの世界にも日本の伝統的なモチーフとして蝶などの虫、飛翔する鳥、扇、竹、さくら等のデザインが取り入れられていきました。1870年代、80年代のこうした潮流はオーセンティック ムーブメントとして知られています。

サムライの時代が終わった頃、1870年代前半における英国のジャポニスム取り込みについては、英国アンティーク情報欄の「10.エルキントン社のシルバープレート技術と明治新政府の岩倉使節団」記事後半で詳しく解説していますのでご覧になってください。

その後のジャポニスム研究は、モチーフブックなどの成果となって、以下のような書籍が次々と発表されていきます。
「Art and Art Industries of Japan(1878年、 Sir Rutherford Alcock)」、 「A Grammar of Japanese Ornament and Design(1880年、Cutler)」、「Book of Japanese Ornamentation(1880年、D.H.Moser)」

そして1880年代の後半にはジャポニスム モチーフブックの集大成である「Japanese Encyclopedias of Design(Batsford)」が出て、Japanese craze(日本趣味の大流行)のピークとなりました。

ヴィクトリアン後期の英国にあってはジャポニスムが新鮮で、大きな顧客需要があり、モチーフブック等の基礎資料も充実していたことが、今日私たちが日本趣味な英国アンティークシルバーにお目にかかれる理由なのです。 百数十年も前に多くのイギリス人たちが日本に大いなる関心を持っていたことには驚かされます。

リボン飾りについては、もう少し考えてみたいことがあります。 二十一世紀に暮らす日本人の私たちは、このブローチの装飾を見て、リボンが結んであるのか、かわいいなと思われるでしょう。 しかしながら、このブローチが作られた十九世紀末に当時の日本人が見たとしたら、そう簡単にはピンと来なかった可能性が高いのです。

その手掛かりは朝日新聞に1908年に連載された夏目漱石の『三四郎』にあります。 第二章の最後に以下の一節がありますので、まずは読んでみましょう。

「四角へ出ると、左手のこちら側に西洋小間物屋(こまものや)があって、向こう側に日本小間物屋がある。そのあいだを電車がぐるっと曲がって、非常な勢いで通る。ベルがちんちんちんちんいう。渡りにくいほど雑踏する。野々宮君は、向こうの小間物屋をさして、
「あすこでちょいと買物をしますからね」と言って、ちりんちりんと鳴るあいだを駆け抜けた。三四郎もくっついて、向こうへ渡った。野々宮君はさっそく店へはいった。表に待っていた三四郎が、気がついて見ると、店先のガラス張りの棚に櫛だの花簪(はなかんざし)だのが並べてある。三四郎は妙に思った。野々宮君が何を買っているのかしらと、不審を起こして、店の中へはいってみると、蝉(せみ)の羽根のようなリボンをぶら下げて、
「どうですか」と聞かれた。

四つ角というのは本郷三丁目の交差点で、向こう側の日本小間物屋というのは、「本郷も兼安までは 江戸のうち」の川柳で有名な兼安を指しています。 「蝉(せみ)の羽根のようなリボン」という表現は、すさまじい感じで、リボンを見たことがない人にも、リボンがなんたるか説明したい漱石の親切でしょう。

『三四郎』を今読むと、なんともノスタルジックで、アンティークな読み物と感じますが、朝日新聞に連載された頃はトレンディー小説だったわけで、当時の先端事情が物語の背景にあります。

小説の中で、野々宮さんがリボンを買いに、交差点を渡って、向こう側の日本小間物屋に行っていることがポイントです。 明治終わり頃まで日本には国産リボンはありませんでした。リボンは西洋からの輸入品で、殖産興業の観点から高率な関税がかけられ、簡単に手に入る品物ではなかったのです。 

ところが、ようやく国産リボンの生産が始まったのが、ちょうど『三四郎』の時代でした。 ですから、野々宮さんは西洋小間物屋ではなく、日本小間物屋でリボンが買えたわけです。 国産リボンが出始めて間もない時代であったので、トレンディーでない普通の読者向けには「蝉(せみ)の羽根のような」という説明も必要だったと思われます。

写真のブローチは『三四郎』の時代より、さらに十数年前に作られておりますことから、当時の普通の日本人にとっては、まだまだ馴染みのうすいリボンだったと考えられるのです。 

ジャポニスム モチーフ ヴィクトリアン スターリングシルバー クレッセント ブローチ with アイビー & リボン飾り



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